PAULO FLORES & PRODÍGIO / A BENÇÃO E A MALDIÇÃO


パウロ・フローレスの新作再入荷です。アンゴラ現地盤ではなくて、今回はポルトガルSONY盤でリリースされました。パウロ・フローレスとラッパー、プロディージョ(ポル語”天才”の意)の共作アルバムです。
一聴。このシンプルさ、一切の無駄のない、ヴォイスとギターの8曲、二人の声と生ギターの弦が織りなすツートーンのグラデーションが、アンゴラ社会の来しかたと今を描き出すような、アルバムとでも…。それは、クリップを観てもらえば、薄々わかっていただけるでしょうけど、ここで聞こえる歌と声は、決してアンゴラで生きることの幸福に沿ったものではなく、その歌の言葉も、プロディージョのリリックも、アンゴラで生きることの不幸や、悲痛な断面に寄りそっているように感じられます。ギターさえ、哀しい響きに聞こえます。加えて、アンゴラの、たぶん、どこにでもある雨上がりの光景、水の流れ、田舎道、家屋や街頭、子どもたち、そして、濡れたアスファルトに映る人影などの写真を組み合わせただけの、モノトーンのジャケットも、何かを語りかけています…、なんだか、参りました。
>こちらでも紹介されています(無断リンク陳謝&感謝)!

1 História
2 Nzambi
3 Fome
4 Viola
5 A Vida É Curta
6 Kafrique
7 Esquebra
8 Minga

*以下、またかよ、ですけど…、当方が選曲し、ボソボソ喋らせていただいているNHKラジオの小コーナーで、本作から2曲を紹介させてもらった際の台本元原稿です。長くなりますが…せっかく書いたので(実際の放送では、いつもカットされているようですが…、ラジオを録音できないので聞いたことないので、よくわかりませんが)。

アンゴラはアフリカ南西部に位置する大西洋に面した国です。人口は約2千万、15世紀に植民地となってから以降、1975年に独立するまで、ポルトガルの海外州だったので、公用語はポルトガル語です。

というわけで、今日は、このコーナーでも何度か紹介させていただいたアンゴラ音楽を、また紹介させていただきます。
ただし、今日紹介する曲は、これまでとはちょっと違う雰囲気かと思います。
これまで、このコーナーで紹介したアンゴラの音楽の多くは、リズミカルにダンスを誘い、音楽に浸ることの喜びや爽快感を教えてくれる曲が多かったと思います。
けれど、今日紹介する曲が伝えてくれるのは、哀しみや嘆き、あるいは、どうしようもない理不尽みたいなものかも知れません。

今世紀に入り、日本も含めて、世界中の国で貧富の差が広がっていることは、薄々みなさんも感じているんじゃないかと思いますが、場所によっては、そこに気候変動や温暖化も加わり、最低限の生活が維持できなくなっている人々も増えていると聞きます。
特にアフリカ南部では、ここ近年の雨不足で水源の多くが枯渇し、農作物への被害は年々大きなものとなっているそうです。
アフリカ南西部に位置するアンゴラの農村部も例外ではありません。

(追記、というわけで、雨に濡れた光景、風景を写したジャケットは、待ち望まれていた慈雨、ということになるのかも知れません。)

そんな異常気象による生活の危機で最も打撃を受けるのは、弱者であり、それは大人たちよりも子供たちであり、そして、男の子よりも女の子であり、幼い女の子に対する暴力や虐待が、アンゴラでは社会問題になっているそうです。

そんなこと、去年の年末にリリースされたばかりの本作、アンゴラ音楽のヴェテラン・シンガーソングライター、パウロ・フローレスと、ラッパー、プロディージョによる、この共演アルバムを聞くまで、自分は知りもしませんでした。

それでは、1曲聴いていただきます。
パウロ・フローレス&プロディージョで、曲名は “ヴィオラ”

シンプルですね、声とギター、そして畳み掛けるようなラップも聞こえました。
歌詞の内容がわからなくても、やるせないような、深い嘆きが伝わってくる曲だったかと思います。曲名のヴィオラは、ポルトガル語でギターを意味します。

パウロ・フローレスは1972年生まれ、80年代の末にデビューし、本作が15作目のアルバムとなります。常にアンゴラ音楽の過去と未来を結びつけ、アンゴラの音楽をリードするような役割を果たして来ました。対するプロディージョは1988年生まれ、13歳の時から、ラッパーとして活動して来たそうです。

長らくパウロ・フローレスを音楽界の先達として敬愛していたプロディージョが、自身の2015年のアルバムで是非いっしょに歌いたいとオファー、その共演が実現して以来、二人は会って話をしたり、電話で長話をしたり、近しい関係となりましたが、ある時、パウロが「サイテーの気分だ」と塞ぎ込んでいた時、「たぶんボクといっしょにアルバムを作らないと、その気分は治らないと思うよ」と、何の気なしにプロディージョは応えたそうです。で、それを受け「うん、その通りだ」と納得したパウロは、その場で共作のコンセプトを相談し始めたということでした。
結局、二人の中で、共演の機が熟していたということでしょうね、きっと。

そんな二人、今お聴きいただいた曲 “ヴィオラ” で、こんなことを歌っていました。

「古いラジオをつける、女の子の泣き声を消すために、この夜の底で起きたことを隠蔽するため、ギター、ギター、ギター、」

「この女の子にはギターの音色さえ聞こえない、 朝の孤独、水の中の泣き声、
そして人形とお城の夢、誰かに口を押さえつけられる、息ができない 窒息する 暗闇が怖い
無理やり服を脱がされる、覚めることのない悪夢、悲鳴をあげた時には既にのしかかられていた
泣き始めた、彼女は知っていた、以前、姉さんや従姉妹にも、同じことが起こったことを、人形とお城の夢の中で、」

と、だいたい、分かる範囲で、そんな歌詞とラップでした。
まあ、この曲を聴いてしまったからと言って、幼い少女のために自分は何もできないことは知っています。それでも、この二人の声とギターは忘れないような気がします。

ではもう1曲、同じアルバムから、
パウロ・フローレス&プロディージョで、
”ヒストリア“ つまり「歴史」という曲名です。

ちょっと元気が出ましたね、
なにかを、応援してくれているような曲でした。

こんなことを歌っていました。

これはアンゴラの家族の話です、人を愛する人、慰める人、男、生きているうちに、それは名誉であり特権、希望の一つたること、ありがとうございました!よろしく、お願いします。

それは家族、アンゴラの家族の物語です。誰もが楽しくなる、嘘のないアンゴラのために、それはセンバ、そしてそれはラップ、希望、希望、子供の眼に希望、最も豊かで最も貧しい大陸、

どうでしょう?
どこか、アンゴラを応援しているような曲でしたね。
このパウロ・フローレスとプロディージョのユニット名は “エスペランサ” つまり、希望だそうです。

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