JAMES CHIMOMBE / BEST OF

ジェームズ・チモンべ(1951-1990)は、トーマス・マプフーモ、そしてオリヴァー・ムトゥクジとともにハレルヤ・チキン・ラン・バンドに参加、ギタリストとして活躍した後、トーマスとともにアシッド・バンド結成を経てブラック・アンリミテッドにも参加するなど、英領ローデシア時代から活躍したジンバブウェPOP黎明期の音楽家として名を残しています。
その後、トーマスと別れて後、OKスクセスに参加するんですが、このOKスクセス、その名の通りコンゴからローデシアへ出稼ぎにやって来たルンバ系のバンドでした。このOK時代に培ったコンゴレーズ風ギター&ホーンズのアンサンブルを要に、ケニアや南アフリカ、そしてショナ人の音楽性をミックスしたような独自なスタイルを獲得し(ルンバとムビラの合成語として名付けられた ” ルンビラ” や、後年のベンガビートの影響をうかがわせるスングラの台頭にも関節的に関与した、と、言えるかも知れません)、加えて、珍しくもこの人自身、吐露している北米カントリー&ウェスタン・ミュージックへの愛着も、何がしかをその音楽性に付与している、と感じられるかも知れません…。
要するにハイブリット、POPとしてのジンバブウェ音楽成立を語る上で、意外と欠かせない人物像かと思われますが、でも、意外と知られていないのは、そのCDやレコードがなかなか手に入らないからでしょうか?
あるいは、80年代以降(ジンバブウェ独立後)、現在も存続するハラレの人気クラブ、Club Hide-Out99 専属のオーシャン・シティ・バンドを率いていた頃、チモンべが音楽的に心酔していたのはライオネル・リッチーだったそうで、クラブでのセッションでライオネル・リッチー物真似大会とか夜ごと演じていたという話も伝え聞きくに及び、もしかしたら、そんな挙動において、ジンバブウェ・ポピュラー音楽史から一歩ハズレてしまったのかも知れないと…。というようなことはさておいても、晩年近くには人気ナイトクラブのバンマスを解雇されてしまったとのこと(原因はリッチーへの心酔にあったのかどうかなんて、知る由もありませんが)。その後も、また新たなバンド〜 フチ・バンドを結成し、1990年に亡くなるまで音楽活動は続けたようです。
(いや、本CD、たった1枚の在庫ですが、酔った勢いで、ジンバブウェにおけるライオネル・リッチー伝説を語りたかったわけではありません。他意ありません。すみません。でも、ライオネル・リッチーといえば、昔、ジャカルタの中古レコード屋の洋楽コーナーで一番品揃えが良かったのは勿論ライオネル・リッチーであることは言わずもがな…、というか、ライオネル・リッチーしか無かったと言っても過言ではありません。あ、いや、過言です。と、なぜか、ライオネル・リチオが気になる今日この頃なのでした…)
 
 
1 Mukwasha
2 Muchiti Mugere
3 Zvaitika
4 Siya Wawonska
5 Jemedza
6 Zviwuya Zvirimberi
7 Kudakwashe
8 Chawana Mumwe
9 Cecilia
10 Zvakaoma
11 Bindura
12 Manakandafa
13 Masutu


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