V.A. / REBETIKO SERGIANI 1929-1950, Tragoudia Tou Kafe Aman


以下、>こちらより転載&書き足し&書き直ししました〜

アマネス or アマーン・ソング or カフェ・アマーン 〜とは、トルコ語に由来する “アマーン” という慈悲や哀れみを意味する言葉、転じて「ああ、神さま」「oh my god」といった意味合いにおいて、オスマン・トルコやアラブ、そしてセファルディ等の伝統音階、もしくはそのヴァリエーションに則った独特に引き伸した節まわしを聞かせることで開始される、即興的要素が濃い歌謡スタイルのことかと思います。本CDは、そんなアマネスのギリシャに於ける1929-1950年のSP録音を集めた復刻編集盤です。
20世紀初めの住民交換(オスマン・トルコの終焉を意味する)ではギリシャからは50万人のムスリムがトルコへ、トルコからは150万人の東方教会信者がギリシャへ帰還しました。トルコから帰還したギリシャ人の中には音楽家達も多く(いわゆるスミルナ派)、そんな中にはアマネス(要するに、ある種の嘆き節みたいなものでしょうか?)を歌う者も多くいたました。そんな歌唱パフォーマンスの担い手は “アマナード” と呼ばれ、その複数形が “AMANEDES” です(そのアマネーデスそのものが、アマネス、アマーン・ソングを意味することもあるようです)。
長々とした “アマーン” 歌唱の導入部においてチャージされた感情や気分が、その後、ブズーキやヴァイオリン伴奏で開始される主題部分の情感表現の引き金となっているようにも感じられるこのアマーン・ソング、そんなスタイルに類した歌謡は、古くはオスマン帝国の版図の広がり、トルコから中東、ギリシャ、バルカン半島でも(例えば、セルビアの“セヴダ”)、類似したものがそれぞれの土地で聞くことができたとされますが、そうした歌謡スタイルは、主にオスマン・トルコや中東の風俗として根付き、トルコから移入されていた “カフェ” で演じられたため、“カフェ・アマーン・ミュージック”と呼ばれることもあります。このカフェ・アマーン・ミュージックは、すなわち初期スミルナ(アナトリアの港街イズミール)派のレベーティカの音楽性とかなりの部分、オーヴァーラップするものと察せられます。
ちなみに、このスミルナ派は現ギリシャ音楽の基本ともされるゼイベキコ(9拍子)のリズム、あるいはトルコやロマのベリーダンス系リズムに由来するチフテテリをギリシャ音楽にもたらしました。
対して、ギリシャのフォークロア(ディモーティカ)やビザンチン様式の教会音楽の影響から派生したとされるピレウス(アテネ近郊の港街)派のレベーティカは、カフェではなくテケ(阿片窟)や娼館を温床として広がり、貧民街や暗黒街のアンダー・グラウンドな歌謡として20世紀初頭に生まれました。
が、スミルナ派のトルコ的な音楽要素と交わることで次第にピレウス派レベーティカの担い手達(その多くは、“マンガス”と呼ばれた男性、下層労働者であり貧民窟出身者)も、SP録音等によってアンダーグラウンドからオーヴァーグラウンドな存在になるにつれ、テケではなくカフェ(もしくはナイトクラブやタヴェルナ)において歌い演じることが多くなり、このマンガスとアマネデスの2つのスタイルが次第に交わって行くことで、現在まで続くギリシャ歌謡の基礎、レベーティカからライカへの潮流が生み出された、と言うことはできるでしょう。
その意味で、本CDに収めれたSP音源群は、トルコ帰還者を得て発展することとなる、現代ギリシャ歌謡形成の一つの大きな要因となった過去の歌謡スタイルだったことは確かです。

以下、余談〜
ただし、1936-37年にギリシャで成立した独裁的政権が発した検閲において、「トルコ語」または「東方的」メロディーと楽器演奏(ウード、カヌーン等)を禁止したため、このアマーン・ソングは(定形スタイルとしては)ほどなく表舞台からは消えて行きます。その後、トルコの風俗に由来する歌詞内容まで検閲を受けるようになり(ピレウス派にしても、アンダーグラウンドな傾向の歌詞は検閲の対象となりました)、スミルナ派の音楽的実質はやや希薄にならざるをえず(そのため、スミルナ派音楽家達の北米移住が多かったことも納得されます)、あるいは、ピレウス派の音楽性も、テケからカフェで演じられる歌謡となるにつれ、歌詞内容の変化とともにスミルナ派スタイルとの折衷傾向を受け入れることになったとも考えられます。
この検閲は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるギリシャ占領時代まで続きますが、占領下ではすべての録音活動、並びに多くの音楽活動が禁止されもしました。続いて、大戦後に勃発したギリシャ内戦時(1946-49)にも、アテネやピレウスが戦場となったため、音楽家の多くはテッサロニキに移動し活動することになります。
そうした受難の時代が続いた黎明後期のギリシャ大衆音楽ですが、1950年代を迎えると大戦前にアテネのシーンに登場するも、テッサロニキへ移っていたヴァシリス・ツィツァーニス(西洋クラシックの素養を持った法学生でもあり)を中心として、スミルナとピレウスの要素が“意識的”にミックスされ、加えて、初期レベーティカの持っていたアンダーグラウンドな指向性も払拭し、より広く大衆に受け入れられる歌謡、ライカ・トラゴディア(ライコ=“人々”の意 / トラゴディア=“歌”の意)が生まれることになります。“人々の歌” すなわち一般大衆の歌謡である“ライカ”の時代が、ヴァシリス・ツィツァーニスのアテネへの帰還とともに始まったわけです(とはいえ、ヴァシリス自身の歌声それ自体は未だマンガスの影を感じさせるものでした。その後のステリオス・カザンツィディス、ストラトス・ディオニシウにしても、どこか、マンガスの系譜を感じさせるところが残っていたと言えるでしょうか。何しろストラトスはハッシシ常習容疑で投獄されています。その意味では、マノーリス・アンゲロプロス、そして、ヨルゴス・ダラーラスの登場を待って〜女性歌手は抜きにして? メインストリームにおけるレベーティカからの変容が完遂されたと言えるかも知れません。ヨルゴスがレベーティカを歌うことは、既に、レベーティカをある程度”意識的に”歌うことだったかも知れません…)。
(ところで、女性歌手に関しては、男の世界を生き抜いた?マルコス・ヴァンヴァカリスはともかく、ヴァシリス・ツィツァーニスやステリオス・カザンジディス、あるいはヨルゴス・ダラーラスなど、メインストリームを作って来た男性歌手達が、プロデューサー的な役割も果たし、例えば、ヴァシリスはマリカ・ニーヌやソティリア・ベール、カザンジディスはマリネッラ、ダラーラスはハリス・アレクシウと、彼らがパートナーとして見出して来た女性歌手達がまた、20世紀のギリシャ音楽史の重要な屋台骨となっていったことは、すでに周知の通り。)

というわけで、誰に頼まれるわけでもなく、アマーン・ソングから紐解いた20世紀前半ギリシャ歌謡の大筋を説明しましたが、おわかりいただけたでしょうか(とはいえ、商売ですけど…。ともあれ、傍証の所在も今やハッキリとはせず、頭の中でそう思っていることを書いたので、間違っていたらごめんなさい、是非ご指摘下さい。いずれ、暇になったら、ちゃんと勉強したいものですな、って、既に始まっているよーな気がするボケのこともあり、ソレどころではなくなる可能性の方が高いわけですが)?

〜なので、本CDには、1950年までの録音が含まれているということ、その後のスミルネイカ・ソングが聴けるところ、その変容を確認したい方は要注目ということで、

1 Maríka Polítissa / Στο Καφέ Αμάν 3:15
2 Ríta Abatzí / Νέος Κόνιαλης 3:09
3 Antónis Dalnkás / Ο Σεβνταλής 3:08
4 Ríta Abatzí / Μάγκικο 3:09
5 Róza Eskenázy / Στην πόλη Στο Μεβλά Χανέ 3:05
6 Georgía Myttákin / Είσαι Πόντος Έξτρα 3:11
7 Maríka Papagíka / Θα Σπάσω Κούπες 3:32
8 Virginia Magkidou /Πάλι Τά ‘κοψε Η Μαμά Σου 3:05
9 Dimítris Sémsis / Διπλόχορδο Τσιφτετέλι 3:07
10 Róza Eskenázy / Το Καναρίνι 3:11
11 Dimítris Sémsis / Παγκρατιώτισσα 2:31
12 Ríta Abatzí / Η Κούλα 3:13
13 Róza Eskenázy / Τα Ματάκια Σου Τα Δυο 3:07
14 Kyriakádou N. / Ζωντοχήρα 3:18
15 Amalía Váka /Τα Ματάκια Σου Πουλί Μου 3:04
16 Róza Eskenázy / Μέσα Στην Πόλη Βρίσκομαι 3:00
17 Kóstas Karípis / Ταμπαχανιώτικος 4:07
18 Róza Eskenázy / Η Μαρίκα Στην Αθήνα 3:02

go top