JOSÉ CARLOS SCHWARZ & LE COBIANA DJAZZ / LUA KI DI NOS

1970年代初頭、旧ポルトガル領アフリカ各地の独立運動の中、ギネア=ビサウも、また独立運動の渦中にあった地域でした。
そんな中、ゼ・カルロスことホセ・カルロス・シュワルツ率いるコビアナ・ジャズは、ギネア=ビサウの地に発した音楽ジャンルだった “グンベ” を改めてクローズアップし、クリオーロ(ポルトガル系クレオール)語で歌うことで、多くの聴衆と即座に心情的な絆を結びました。彼の歌の政治関与、プロテストの精神を通じて、ゼ・カルロスは多くの人々の間に社会的および政治的意識を形成する上で重要な役割を果たしたそうです。
もう一方の雄、スーパー・ママ・ジョンボは音楽的に大きな人気を得ましたが、ゼ・カルロスはギネア=ビサウの人々の文化的アイデンティティを取り戻すことに貢献したとされています。
コビアナ・ジャズのポリティカルな人気を背負い、ゼ・カルロスは独立闘争において都市ゲリラ活動に関与するようになり、その結果、ビサウ中心部で数回の爆破事件が発生、その首謀者の一人として、彼は投獄され、拷問を受けることにもなり、1972年から2年間、監禁されたそうです。
1974年のポルトガル革命(独裁政権が倒れ民主化)をきっかけに、同年、ギネア=ビサウはポルトガルに独立を承認させることができました。独立運動の中心人物でもあったシュワルツは、音楽家としての人気に後押しを受け、民主独立政権の樹立に重要な役割を果たします。が、すぐに、彼の批判(政府高官の日和見主義と無責任を指摘)は、独立政権の政治エリートたちの悩みの種となったようです。シュワルツの音楽作品の影響力に不安を抱いた政府当局者たちは、シュワルツをハバナの大使館に配属することで、彼を多くの支持者から事実上引き離す工作をしました。
そして、ホセ・カルロス・シュワルツは、1977年5月27日、キューバのホセ・マルティ国際空港に到着した飛行機が事故により墜落し、27歳で悲劇的かつ早すぎる死を遂げてしまいました。
オーケストラ・バオバブ、レッタ・ムブール、ミリアム・マケバ(マケバは最初で最後、ゼ・カルロス唯一のソロ・アルバムを一緒にレコーディング)といったアフリカ音楽の巨人たちから称賛された彼の詩と歌は、ギニア=ビサウの歴史の中で永続的な地位を獲得しています。 しかし、彼の歌声は、ギニア=ビサウおよびそのディアスポラ以外には、ほとんど知られることはありませんでした。
私たち “HOT MULE RECORDS” は、シュワルツ家との緊密な協力のもと、この初の公式再発盤をアナログ盤で提供できることを誇りに思っています。(〜レーベル・インフォからの意訳)
*リマスター重量盤

1.Indicativo 02:44
2.Estin 04:21
3.Po Ka Ta Bida Lagartu 04:18
4.Lua Kata Kema 03:49
5.Dispus Ke E Lebal 02:42
6.Tiu Bernal 02:47
7.Na Kolonia 05:40
8.Mindjeris De Panu Pretu 04:31
9.Pintcha Kamion 02:38
10.Pena Di Galiña 04:26
11.Amigus Ka Bali 03:49
12.Apili (Digital Bonus) 04:30
13.Flema Di Korçon (Digital Bonus) 05:45
14.Djiu Di Galinha (Bonus Digital) 03:31

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