NICOLE LOUVIER / …ET SES CHANSONS

☆ニコル・ルーヴィエ / 忘れじのニコル・ルーヴィエ 1953-1957
ERPCD-160051950年代。
まだ性の解放も女性の自立も認められていなかった時代。
彗星のごとく現れた、一人の「自由な女性歌手」。
小説においては、同世代のフランソワーズ・サガンと比肩する才能と言われ、シャンソンでは同じ時期にデビューしたジョルジュ・ブラッサンスと比較された。
そして、そのあまりに「自由」で「何者も恐れなかった」彼女は、
デビューから十数年で、芸能界から「消された」。
その封印された音源が、50年の時を経て、遂に甦る。

ニコル・ルーヴィエ(1933-2003)は、おそらくフランスに登場した最初の女性自作自演歌手(シンガー・ソングライター)。ポーランド系ユダヤ人の裁縫職人の娘としてパリで生まれた。独学でギターと作曲を習得。16歳の時に書いた最初の小説『誰が何と言おうとも(Qui qu’en grogne)』が1953年に刊行され、その2週間後には自作自演歌手としてデッカ・レコードと契約する。

こうして1953年、ニコル・ルーヴィエは小説とシャンソンの両方で、華々しくもスキャンダラスにその姿を現した。それは幼さを残す丸い輪郭の顔に大きな目をした黒髪ショートカットの娘だった。修道女のような衿のつまった長衣に身をつつみギターを抱えて歌うさまは中世の吟遊詩人を思わせた。

この自由な女性歌手の登場は、間接的にも直接的にも後年のバルバラ、アンヌ・シルヴェストル、フランソワーズ・アルディ等の出現を用意することになる。

1959年、ルーヴィエ3作めの小説『商人たち(Les Marchands)』は轟々たるスキャンダルを巻き起こす。小説はシャンソン界にデビューした少女歌手が、芸能界の闇の中で受けた仕打ちや、売出しや敵つぶしのための汚い手口を暴露するもので、実名こそ出さないが、詳細に描写された内部告発本であった。

何ものも恐れない自由な女性ニコル・ルーヴィエは、徐々に居場所を失っていき、レコードは64年を最後に、詩と小説は68年を最後に、ニコル・ルーヴィエは人前から姿を消す。南仏へ、そしてイスラエルへ、彼女は人目から遠く離れて35年間、静かに詩と作詞作曲を続けていた。そして人々から忘れ去られた2003年春、70歳を前にしてニコル・ルーヴィエはガンで病死。

芸能界を敵に回したために芸能界から消された自由の女性歌手は、その後も大レコード会社によってそのレコードがCD復刻されることもなく、音源は封印されたままであった。しかし、発表後50年経ってそれがパブリック・ドメインになったのを機会に、フランスの小さなレコード会社ILDが、ルーヴィエ愛好家のダニー・ラルマンの監修によって1953年から57年までのルーヴィエのレコード録音26曲を1枚のCDとして復刻した。

時に物憂く、時に官能的で、時に力強く、時にコケットな、ルーヴィエの声のプレゼンスと、芯の強さがなによりも圧倒的に迫ってくる。1958年10月から12月まで、ニコルは東京、大阪、京都、奈良から九州まで巡演している。彼女はとりわけ奈良を愛して、奈良をテーマにした詩「Sayo Nara」と、シャンソン「奈良の風 (Le vent de Nara)」を残している。
■2009年に発売された『ニコル・ルーヴィエ/忘れじのニコル・ルーヴィエ 1953-1957』の廉価盤再発です。
(メーカーインフォより)

■曲目:
1. 知らせの途絶えた私のいい人
2. あなたはいい人
3. 誰が私を解き放ってくれるの?
4. きっと素敵よ
5. おなかが空いたら
6. 生きることは戦争のように
7. それがきまり
8. 私は愛が怖い
9. 眠りなさい,善良な人々よ
10. あなたは私を好きだと言う
11. それは風
12. 単にそれだけのこと
13. 夜よ過ぎ去れ
14. ムッシュー・ヴィクトール・ユゴー
15. 私はもうパリジェンヌじゃない
16. 地獄が怖いなら
17. 私たちは変わっていない
18. 蜘蛛の巣
19. あなたはどこにいるの
20. 私は母と別れた
21. パリ・ジャルダン
22. 私はあなたの誕生を想像する
23. 友だちでいましょう
24. 目下の連れ合い
25. 恋人よ 私は眠りたくない
26. 優しき王,バイエルン公ルードヴィッヒ

 

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