>http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-07-02 (リンク感謝!今回はちゃんとリンクのお断りを致しました…)
アラブ圏における歌劇 /ミュージカルというと、1930年代にトーキー映画というメディアに組み入れられることで、より広いポピュラリティーを持つことになるわけですが(1930年代後半にはウム・クルスームが6本の映画に出演〜その後、女優であることを断念、そして1940年代には、たった2本ですがアスマハーンが映画で歌い絶大な人気を得るものの、26歳で逝去)、その後、TV放送とタイアップすることで、レバノンのフェイルーズが劇場でのミュージカルに乗り出したことも有名かも知れません。で、トーキー映画以前に歌劇というものがなかったかというと、そんなことはなく、本3CDにおいて復刻されることになった、このサラマ・ヒジャズィ(1852-1917) という男性歌手が、世紀の変わり目を経たミュージカル歌手のパイオニアであり、広くアラブ圏を巡業し人気を得ていたという事実があります。
それにしても、もともとムアッジン(モスクから礼拝を呼びかけるアザーンの詠み手)だったサラマ・ヒジャズィの歌声の素晴らしさは特筆もので、それが劇中においてどんな役どころで歌ったものか、どんな劇を展開していたのか、全然わからないのですが、特に、それはもう、わからなくってもいいや、というぐらいに、声として、歌として、節まわしとして素晴らしいのは確かで、18〜19世紀に西洋においてポピュラーな存在となっていたオペラのように歌手が歌い合うことで劇が成立していたに違いないとは思うものの、この3CD収録の1905〜11年の間に残されたサラマ・ヒジャズィのソロ・ヴォーカルによるSP音源群を聴く限り、当時の歌劇の実態は見えて来ません(西洋の歌劇オペラは植民地アジア〜アラブの伝統的な歌劇に影響を与えたのか? それともそうでもないのか?その辺は自分の知るところではないのですが、例えば、エジプトにおける所謂オペラハウスの建設は1918年、インドでは1915年、あるいはベトナムで1912年、というような事実を知れば、何らかの影響力を持ったことは想像されて、作曲家 サイード・ダルウィーシュ(1892-1923) 以降、アラブ古典音楽に西洋的な弦楽重奏が移入されていたこともその査証となるのかも知れません)。
ともあれ、bunboni さんも「ヒジャズィの歌劇を観覧した当時の人々が、物語のあらすじや俳優の演技よりも、ヒジャズィの歌を聴きに行ったというのも、なるほどとうなずける」と結論づけていらっしゃるその一事をもってしても、アラブ世界の世紀の変わり目を体現しただろう、一歌手としてのサラマ・ヒジャズィの魅力を、まず楽しんでいただくことが主眼となる3CDであることは確かでしょう。素晴らしい!
CD-1
1. Samahat Bi-Isral Al Dumu
2. Badru Husnin Laha Li
3. Salu Humrat Al Khaddayn
4. Qaddo L-Mayyas Zawwed Wagdi
5. Asbahtu Min Wagdi
6. Dhubulu Shababi
7. El-Wagh Miti El-Badri Tamam
8. Le-Gher Lotfak Ashki Le-Min
9. Safara L-Litham
CD-2
1. In Kuntu Fi L-Gaysh
2. Salamun ‘Ala Husnin
3. Ya Ghazalan
4. Ya Nusaymat El Saba
5. Abasuna Dhu L-Ma’ali
6. Safa L-Awqat
7. ‘Izat Al-Muluk
8. Al-Mashriqan ‘Alayka Yantahiban
CD-3
1. Yusuf Al-Manyalawi
2. ‘Abd Al-Hayy Hilmi
3. Zaki Murad
4. Mustafa Amin
5. Munira Al-Mahdiyya
6. Munira Al-Mahdiyya
7. Munira Al-Mahdiyya
8. Muhammad ‘Abd Al-Wahab
9. Hamid Mursi
10. Na’ima Al-Masriyya
11. ‘Abd Al-Lah Al-Shami
12. Ahmad Fahim Al-Far