KOBO TOWN / CARNIVAL OF THE GHOSTS

お待たせしました!いや〜、再入荷3ヶ月待たされました。まさか、船便で送ってくるとは…、でも、夏に間に合って、よかったよかった。

>こちらで、紹介されていました!
無断リンク、いつもすみません&感謝!

…そうか、何だか見たことのある絵だなあ、と思ったら、英 Matchbox レーベルの “HISTORY OF CARNIVAL” と同じだったんですねえ、もともとこのイラスト(なのか銅版画なのか?)は、1888年のトリニダードはポート・オヴ・スペインの仮装カーニヴァルを描いたグリーティング・カード or 絵葉書(英国製)だったらしいんですけど…、さすが慧眼です!
そんな19世紀末のジャケをあしらった表題 “カーニヴァルのゴースト達” というコボ・タウン(=ポート・オブ・スペインのより古い呼び名)4作目のアルバムとなるという本作 〜2作目は>こちらで国内リリースされていましたが、カリプソ・ローズも参加しているという3作目、見逃していました。でもチェックしてみると、3作目もOKですが、本作の方がっもっとイイですねえ。それは、よりカリプソニアン・マナーが前に出た作品だから、ということになるでしょうが、もともと、カリプソという音楽はピコン(風刺やユーモア)を競い合う自作自演歌謡であり、そんな姿勢において、いかにも古いカリプソニアンの歌を現在につないだ風の歌い口が、まず魅力的だし、音楽的にも黄金期カリプソ風の金管群や、前世紀初めのカリプソ系ストリングス・バンドを今に再現したような曲も並び、現在と歴史を交差させるような、ヒネリの効いた今様カリプソに仕上がっている本作だと思います。

ところで、そんな、カリプソへのコダワリから生まれた本作の仕上がり具合のソースとなった感覚、というか、その音楽作法の一端を垣間見せるような、コボ・タウン率いるトリニダード生まれカナダ育ちのドリュー・ゴンサルヴェスの言葉を、以下、蛇足ながら、意訳にてご紹介してみます。

「ここに並んだ曲たちは、社会的なコメントや風刺的な要素を備えつつも、それぞれに、人としてあることの条件、つまり私たちの性分や弱点、不安や希望といったもの、あるいは、どんな時にも不意に訪れては、忘れ難く心に残る “無常感” のようなものについて歌ったコレクションです。
ところで、数年前のことでした、レコーディングのためにパリの地下鉄に乗っていたとき、ある駅から老フィドラーが地下鉄に乗り合わせ、いかにも、盛り上がりを誘うメドレーで乗客たちを楽しませようとしていました。 彼は、ジグやリールを器用に演奏し、ドラマチックに演出しながら、踊りつつ腿を叩きリズムを取っていました。 けれど、彼の努力とその演奏に対して、誰も見向きもしなかった。 実際、彼は完全に無視され、私には、まるで過去の亡霊のように思えました。 私は、灰色の帽子とオーバーコートを着た彼が、退屈で喜びに欠いた現在を生きる私たちを、からかいにやって来たゴーストなのかも、と想像しました。 あるいは、彼こそが本当に生きている人間で、私たちは自ら生み出した薄暗い自己中心的な黄泉の国に潜む影のようなものかもしれない、とも考えました。
けれど、これは極めて不公平な解釈かもしれません。おそらく、年老いたヴァイオリン弾きに聴き手がいなかったのは、地下鉄の通勤客は彼の芸を何千回となく聞き知っていた、その慣れのせいだったのかもしれません。が、 いずれにせよ、その笑顔で踊りながら演奏するヴァイオリン弾きと、地下鉄に乗り合わせた生気のない群衆とのコントラストは、私に多くのことを考えさせました。
が、結局、日々の生活のアレコレの心配事の中にあっては、そうした考えごとや不可思議な想いも、すぐに消え失せてしまうでしょう。 でも、そうではなく、日々の習慣やルーチンの流れを断つものとして、その偶発的な考えや、不可思議な想いに身を任せてみること、それを天恵と解して受け入れることが、重要かなのもしれません(以下に続く部分、省略)」

〜と、ワレながら、よくわからない意訳ですが、上の言葉に照らしてCDを聴いてみると、なんとなく納得するということはあります。

1.Shades Of The Living 02:31
2.Carnival Of The Ghosts 03:49
3.The Grass Is Greener 03:34
4.Down By The Water 03:23
5.The Hidden Hand 03:14
6.One by One 02:39
7.Time 02:48
8.Here By Chance 02:37
9.Bourne’s Road 02:08
10.Along The Way 02:20

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