*とうとう、ナイジェリア盤CDも新譜がほとんど出なくなりました。加えて、円安の影響も出始めています。¥2000ということで、お許しを!
以下、深沢美樹センセーの facebook から無断転載、ホント、いつも甘えます!申し訳ありません!(というか、少しでも多くの人に読んでいただきたい!そう思っている次第ですよ〜)
◆フェミ・ソーラーの新作 《SPOT ON》が素晴らしい◆
フェミ・ソーラーの新作 《SPOT ON》について、ミュージック・マガジンの輸入盤紹介で「いまアフリカで唯一無二、超最高のダンスビートを提示している」と簡単に触れたんですけど、やっぱりあの短いスペースでは書きたいことを充分に言い尽くせません。
なぜ彼らの音楽が「いまアフリカで唯一無二、超最高のダンスビート」と思ったのか、それを書いておきたかったので、補足も兼ねてここに記しておきます。
まず、今回のアルバムで改めて思ったのは、彼の音楽を「ゴスペル・ジュジュ」と言い切れるかは別にして、基本的にキリスト教系ヨルバ音楽としてのジュジュを継承しているという事ですね。もちろんポップな姿勢も併せ持っているので宗教色を全面的に打ち出してはいませんが、部分的には表出していて、今作の1曲目がまさに、それです。
そのタイトル “Oba Alade Wura”の“Oba”は「王様、神様、父」などの意味で、”Alade” は「鳴り響く」という意味もありますが「光り輝く」「光彩」、そして”Wura” は「金」という意味だそうです。
ほぼ直訳ですが日本語では「神は黄金の輝き」とでもなるのかな。つまりキリスト様への賛歌という訳で、確かに歌詞の中には「ジーザス」「ハレルヤ」なんて言葉が出てきます。それをこんなにもダンサブル、パーカッシヴに演じるのが、いかにもヨルバ流。
Oba Alade Wura ► https://www.youtube.com/watch?v=PrsM_bcqNZ0
2曲目はチーフ・ケヒンデ・オラディンニという人へのプレイズ・ソング(褒め歌)と思われテンポを落とした演奏ですが、やっぱりパーカッション〜ドラム類のアンサンブルが聞き所でしょう。続く3曲目、4曲目もぼくの耳が行くのはそのパーカッション〜ドラム・アンサンブルの圧倒的な演奏です。これ、打ち込みじゃなくて人力ですよね。いやー凄すぎます!
ついでながら5、6曲目 “Surveillant Fire Ltd” は短い曲なので、何かな〜と思ったんですが、実はこれ火災報知器会社のコマーシャル・ソングです。ん〜フェミ・ソーラーなかなかの商売人だな!
ま、それはともかく、前作 《HIGHRISE》も負けず劣らず非常に素晴らしい出来で、いまフェミ・ソーラーはそのスタイルにますます磨きをかけているのが分かります。
High Rise ► https://www.youtube.com/watch?v=eYyxNwMrtkM
どちらのアルバムでも柔らかい歌い口のスマートなヴォーカルとコーラス、スティール・ギターによる浮遊感、ギターのメリハリの効いたリフ、サックスの絡みなどモダン感覚を提示しているのも見事なんですが、これらは楽曲のいわば上物。
そして彼の音楽の本質、そのベースになっているパーカッション〜ドラム・アンサンブルが紡ぎ出すビート、これは疑いなく「いまアフリカで唯一無二、超最高のダンスビート」だと思ったんでした。
あ〜また、講釈垂れるオヤジになってしまいますが、それを承知で書きますけどね。
そもそもジュジュにトーキング・ドラムが持ち込まれたのは49年のアカンビ・エゲ(アカンビ・ライト)が最初だと言われています。
その後50年代にアインデ・バカレがドラム・アンサンブルを拡充し、トーキング・ドラムだけでなく各種パーカッションやアギディボも導入。最初にエレキを使用したのも彼だと言われており、まさに現代ジュジュのスタイルを形作ったのがバカレでした。
実はバカレのドラム・アンサンブル導入に大きな影響を与えたのが、ランチョ・ボーイズ〜リオ・リンド・オーケストラというグループ。中心人物はアデオル・アキサニャという人です。
彼らはギターやブラスなどを一切使用せず、様々なタイコ類とパーカッション、アギディボによる伴奏で、コール&レスポンスによるヴォーカル&コーラスというスタイルで演じ、アギディボを使用したところから「アギディボ・ミュージック」と呼ばれました。
西欧楽器を一切使用していませんが感覚としてはかなりポップで、当時の若者たちのストリート感覚と庶民感覚を、ヨルバ的音楽嗜好で演じたダンス・ミュージック、いわば都市の民俗音楽〜大衆音楽とも言えるでしょうか。
クリス・ウォーターマンはその著書の中でアギディボ・ミュージックのルーツに関して、
「コンコマ(ガーナの庶民的な音楽スタイル)のレゴス版で、第二次世界大戦後にゴールド・コースト(ガーナ)のエヴェとファンティ移民によって導入されたダンス・ドラム・スタイル」とアデオル・アキサニャの言葉を紹介しています。
そして面白いことに、当時アキサニャのバンドに参加していたのが若きトニー・アレン。そうフェラ・クティのアフロビートの音楽面のキーマンです。
つまりパーカッション〜ドラム・アンサンブルによる庶民的な音楽だったアギディボ・ミュージックはジュジュのドラム・アンサンブルのスタイルに大きな影響を与えただけでなく、アフロビートにも密接に関係していたという事実。具体的にアギディボ・ミュージックがどのようにアフロ・ビートに影響を与えたかは示されていませんが、トニー・アレンの初期の活動にアギディボ・ミュージックとの関わりがあったのは興味深い事実です。
こうした事から、いかにヨルバ文化がパーカッション/ドラムという打楽器への関心の高さと深さを備え、重要視しているか理解できると思います。リズム、ビート、その高度なアンサンブルはまさに彼らの生命活動とも感じられます。
こうしてアインデ・バカレがパーカッション〜ドラム・アンサンブルをジュジュに導入しヨルバ化を推し進め、その後I.K.ダイロ、エベネザー・オベイ、サニー・アデたちがそのドラム・アンサンブルの見事な側面を提示してきました。その後ジュジュ・ミュージックが長らく停滞を続けてきたのも確かに事実でしょう。
ところが今、このフェミ・ソーラーによって再びヨルバ・ドラム文化の生命力が更にパワーアップし現代化され示されている。アインデ・バカレからのジュジュに於けるドラム・アンサンブルのスタイルの変遷、そんな歴史的な流れにもぼくは興味深く、また感慨深く感じています。
そして今、アフリカの様々なポップ・ミュージックを素直に見渡してみると、ぼくの知る限り彼らのように見事なビート感覚を聞かせてくれるアーティストは他にいないのです。
「いまアフリカで唯一無二、超最高のダンスビートを提示している」、決してハッタリで書いたつもりはありません。
>こちらでも紹介されましたぁ〜(無断リンク陳謝&感謝)!