以前ラジオで、アンゴラの音楽の代表の一人として、ボンガを紹介した時の台本原稿を以下に〜
アンゴラは、アフリカ南西部に位置する大西洋に面した国です。人口は約2千万、15世紀に植民地となってから以降、1975年に独立するまでポルトガルの海外州だったので、公用語はポルトガル語です。
ただし、独立戦争後も長らく内戦が続き、その傷跡は今も多く残るとされる地雷に象徴されています。産業としては豊富な石油輸出国であるとともに、昔から良質なダイアモンドの産出でも知られるところです。
そんなアンゴラの昔ながらの音楽といえば、“センバ” が有名です。
同じくポルトガル語圏、南米の国ブラジルの “サンバ” は有名ですが、一説によれば、サンバのルーツはアンゴラの“センバ”にあるともされています。というのも、ブラジルに住まう黒人系の人々のその先祖に、現在のアンゴラの地から海を渡った人々も多かったそうですから、名前が似ている、というだけじゃないのは確かでしょうね。
もともとは、アンゴラ一帯の祝祭や儀式の時のダンス音楽だったそうですが、20世紀というポピュラー音楽の時代がやってくると、センバも変化することになりました。
ことに独立戦争と内戦を繰り返したアンゴラの世相を反映し、センバを歌うシンガーソングライターたち、つまり自作自演の歌手の中には、自由と平和を訴えるメッセンジャーとしての役目を果たす人も多く出てきます。
そんなメッセンジャーの代表的な一人として、このボンガを挙げることができます。そのカスレた哀愁声は一度聴いたら、ちょっと忘れられないような歌声ですが、やはり、ブラジルのサンバにもポルトガルのファドにも似たメロディーを、バラード風に、あるいは軽快なリズムに乗せて聞かせてくれるセンバを、この新しい作(2011年)でも存分に聞かせています。
このボンガといういう人は1943年生まれ、若い頃は陸上選手としてポルトガルに渡り活躍していたそうです。当時の400メートル走のポルトガル記録を持っていたそうです。
が、1970年代前半からアンゴラ独立のために歌い出したそうで、そのため彼はポルトガルからもアンゴラからも追放されることになってしまいました。アンゴラ独立後は、ヨーロッパとアンゴラを行き来しながら、平和への願いを歌い続け、今もって、アンゴラの人々の誰からも愛される大スターです。
▽それでは一曲聴いて下さい…