木津 竹嶺 / 卒寿

「暮らしの歌が持つ力強さ、美しさ、気高さ、生命力、ここにはそのすべてがある」
「木津竹嶺はその生涯を民謡と共に生き、2022年8月に90年の長い人生に幕を下ろした。本作はその最晩年の唄声を録音した音源集である。ここには死の半年前の録音も含まれており、ひとりの男の生き様も刻み込まれている」大石始

● 昭和7年、新潟県南魚沼市に生まれた民謡歌手、木津竹嶺が、最晩年の2021年-2022年、久保田麻琴のプロデュースによって残した最後のアルバムです。民謡歌手として他ジャンルとのコラボなどでも活躍している実娘、木津かおりが、共同プロデュースとアレンジを担当、自らも三味線、太鼓、歌囃子、ゴッタン、笛を披露しています。

<以下、大石始氏によるライナー・ノーツより>
本作制作のきっかけになったのは、かおりさんがSNSにアップしたとある動画だった。その動画には竹嶺の唄う光景が捉えられており、その動画を観た音楽プロデューサーの久保田麻琴さんから、かおりさんのもとに一本のメッセージが送られてきた。
「麻琴さんは『お父さん、すごいね。この声は残しておいたほうがいいんじゃないの?』と言うんですよ。最初は『えっ?』と思ってたんですけど、そこからですね。年齢も年齢なので早くした方がいいよねってことで、声をかけてもらってから3か月後に録音して、全部で3回録音しました。やるうちにどんどん体力が落ちていったので、すごいタイミングでキャッチしてくれたんだなと思いました」
(中略)
かおりさんはレコーディング時の竹嶺の様子をこう語る。
「気合いがすごかったんですよ。一番最初の録音のときなんて特に。俺はやるぞ、というスイッチが入ったときの、それこそ昭和ひと桁生まれの気合いの入れ方はすごいですね。自分たちは甘っちょろいなって思いました」
(中略)
暮らしのなかで民謡に触れ、その本質を習得してきた木津竹嶺。本作を聴いていると、脳裏に浮かび上がるのは煌びやかなコンサートホールの舞台ではなく、魚沼松坂で盛り上がる農家の宴席の光景だ。暮らしの唄が持つ力強さ、美しさ、気高さ、生命力。ここにはそのすべてがある。

<木津竹嶺プロフィール>
昭和7年生まれ、新潟県魚沼市出身。農業、酪農、炭焼きに就業。昭和29年上京。粘土商に住み込みで6年間就業中、故青木竹水氏に師事。結婚後、竹嶺会を発足する。コロムビアレコードより「越後追分」を初吹込み。「尺八による民謡への誘い」(LP2枚組)「北から南から」(唄)「ファミリーによる新潟民謡集」等発売。ベークライト尺八に作りに没頭する傍ら、ロス・アンゼルスにも支部を持ち、米国公演を10数回行う。令和3年、日本郷土民謡協会より、「民謡栄誉章」受章。令和4年逝去、享年90歳。

1. おいとこ節(千葉県) 唄:木津竹嶺 三味線・太鼓:木津かおり 鉦:久保田麻琴
2. 相川音頭(新潟県佐渡島) 唄:木津竹嶺 三味線・太鼓・唄囃子:木津かおり 大太鼓:高円寺飛鳥蓮
3. 串木野さのさ(鹿児島県) 唄:木津竹嶺 ゴッタン・オルゴール:木津かおり
4. 相馬北方二遍返し(福島県) 唄:木津竹嶺 三味線・太鼓・唄囃子:木津かおり
5. 安来節(島根県) 唄:木津竹嶺 三味線・太鼓・唄囃子:木津かおり
6. 山寺石切唄(山形県) 唄:木津竹嶺 笛:木津かおり
7. 米山甚句(新潟県) 唄:木津竹嶺 三味線:木津かおり
8. デカンショ節(兵庫県) 唄:木津竹嶺 三味線・太鼓・唄囃子:木津かおり 鉦・唄囃子:久保田麻琴
9. 黒田節(福岡県) 唄:木津竹嶺 三味線・太鼓:木津かおり
10. 鹿児島浜節(鹿児島県) 唄:木津竹嶺 三味線:木津かおり

 


こういうことを言うと、誤解を招くのかも知れませんが、あるいは木津竹嶺という人を、このCDで初めて知った自分のような者が言うべきことではないかも知れませんが、ここに聞こえる故・木津竹嶺の歌は、民謡であって民謡でなし、伝統芸でありつつ個人芸のようにも響き、乱暴な喩えをするなら、前世紀の前半に発する北米デルタブルースみたいなものではないのか?と、手前勝手ながら、そんな突拍子もないことを思ってしまいました。
そんな連想を誘ったのは、なぜか、本CDを聴いていて、意味不明、唐突に思い出してしまったスリーピー・ジョン・エステス(個人的に初めて目の当たりにした印象深いブルースマン)、もちろん、先人からの流れもあったでしょうが、エステスの歌から聞こえるものは、長い年月を自分なりに歌い続け、老いてなお、というより老いてこそ、より濃く浮かび上がる 、ひとりの男が生きてあったことの証し、みたいなものだったんじゃないかと…。
そして、享年90歳、木津竹嶺の本作、その老いたなりの喉から発せられる歌声、放物線を描くように節を重ねて、揺らぎをもって着地するようなその歌いまわし、その一節一節に、長きに渡り歌い続けて来たこの人の生きた証し、まさに「ひとりの男の生き様」が、そこに聞こえることは確かです。考えてみれば、日本民謡を聴いてブルースマンを連想する、というのも初めてのこと、そういう連想を許すものがこの人の歌にはあるんじゃないかと、そう感じています。

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