V.A. / TAIWAN GOOD OLD DAYS 1917 TO 1943

★V.A./蓄音臺灣~日本統治時代の台湾音楽 1917-1943

 

台湾のポピュラー音楽は日本統治時代にはじまった!
台湾大衆音楽揺籃期の貴重SP音源を世界ではじめてCD化!!

1895年から1945年まで、台湾は日本の統治下にあった。ここで日本のレコード会社は同地に支社を設立し、台湾ポピュラー 音楽の揺籃期を迎える。本アルバムはそんな日本統治時代の台湾音楽の流れを一挙にご紹介するという、世界初の試みだ。先住民(台湾語では「原住民」)の音楽から、当時はじまったばかりの台湾語の流行歌の名曲名唱まで。選曲は台湾の音楽学者・林太崴(リン・タイウェイ)さんで、彼の友人である音楽評論家の関谷元子さんが協力し、このアルバムが生まれた。詳しい解説と貴重写真満載の40ページ・ブックレット+選びに選んだ23曲をお楽しみください。 ●日本語解説/帯付き >http://www.sambinha.com/cn1/2020-02-29.html

トラックリスト
1. 清香、碧雲「陳三寫詩」(陳三の詩)
2. 高砂族の合唱「日月潭の杵唄」
3. 高砂族の合奏「日月潭の杵音」
4. 名北則武「南國節」
5. 水野春次「台灣語對譯」(台湾語の学習)
6. 小紅緞「天女散花」(天女の花が散る)
7. 秋蟾「烏貓行進曲」(トレンディ・ガール・マーチ)
8. 純純「桃花泣血記」(桃色の女の子)
9. 江添壽「大稻埕行進曲」
10. 靜韻「江上夜月」(河の夜月)
11. 陳寶貴「君薄情」(薄情な君)
12. 純純「望春風」
13. 純純「雨夜花」
14. 純純「月夜愁」
15. 純純「蓬萊花鼓」(蓬萊音頭)
16. 純純「摘茶花鼓」(茶摘み音頭)
17. 純純「觀花花鼓」(月見音頭)
18. 純純「我愛你」(あなたを愛す)
19. 純純「你害我」(あなたは私を悲しませる)
20. 芬芬「美麗島」
21. 鶯鶯「日日春」(毎日が春)
22. 根根「白牡丹」
23. 清香「英台賞花」(英台が花を愛でる)

〜メーカーインフォより

▽本CDから3曲を、NHKラジオの誰が聴いているとも知れない?とあるコーナーで紹介させていただきました。以下、ラジオ用台本の元原稿です。よかったら、参考にしてください。

台湾のことはもう、皆さんある程度ご存じだと思います。
沖縄諸島の南に浮かぶ、日本の九州と同じくらいの面積の島に、約2352万の人々が暮らしています。
中心都市は台北で、日本の経済とも密接な関係を持った工業国ですね。

さて、今日は、台湾の人々が残した戦前の歌謡曲を聞いていただこうと思います。
1985年から第二次世界大戦が終結する1945年まで、60年間の長きに渡り日本は台湾を占領していましたが、そんな日本統治下の台湾でも1920年代を過ぎる頃、蓄音機やSPレコードがしだいに普及し、1925年にはラジオ放送も始まったそうです(ちなみに日本でのラジオ放送開始も1925年でした)。

当然、台湾にも、占領下とはいえ、ラジオやレコードで親しまれる歌謡曲が生まれることになります。
そんな中から、今日は1930年代半ばの3曲をご紹介します。

それでは、まず、1曲お聞きいただきます。
歌い手は、純純(スゥンスゥン)、曲名は、「望春風 ワンチュンフン」

なんだか、のんびりとして、かわいらしい歌ですねえ。
伴奏では、当時、世界的に流行していたハワイアン・ギターが奏でられていて、ハイカラです。
ピアノ演奏にそえられたミュートされたトランペットもイイ雰囲気ですね。

”スゥンスゥン”という名前は台湾語読みで、漢字で書くと、純粋の純の字を2つ並べて、純純です。
そして曲名のワンチュンフンは、漢字で、春を望む風と書きます。

歌詞の内容は、こんな感じです。

夜ひとりぼっち、灯りの下にたたずめば
清らかな風が 頬を撫でて行く
年頃の私は 素敵な男性を見かけたの
ハンサムで色白の彼 どちらの家の方でしょう
声をかけてみたいけれど ドキドキしてちょっと怖い

う〜ん、こういう言い方でいいのかどうか、わかりませんけど、たぶん、素朴、というのとは違いますよね。
ちゃんと、歌の情景を演じていながら、飾りも気負いもなく若い女の子の声というものをちゃんと聞かせて、名も知らない素敵な男性を見かけたことに、ドキドキしている雰囲気もシッカリ伝わって来ます。
うまい歌手だなあと思います。

今日ご紹介する歌手では、このスゥンスゥンが一番有名な歌手だったようで、1930年代を通じて、たくさんヒット曲を生み出しています。
台湾歌謡曲の黎明期を代表するスターでしょうね、が、残念なことに1943年に29歳の若さで亡くなってしまったようです。

次は、男性歌手を聞いていただきます。
歌うのは、江添壽(ジャンティエン・ショウ)
曲名は、大稻埕行進曲(ダーダオチェン行進曲)です。

歌い手の名前のジャンティエン・ショウも、曲名のダーダオチェンも難しい漢字なので、説明は省きますが、
ウキウキするような行進曲でしたね。
そして、日本語の歌でした。
日本統治下の録音ですから、別に不思議はありませんが、
少しばかり、つたない日本語の発音が、かえって風情というものでした。
当時、日本語の発音を勉強するためのレコードなんかも出ていたようです。

この行進曲で歌われている ”ダーダオチェン” というのは、台北にある通りの名前だそうです。
レトロな台湾風情が今も残された街並みが、日本からの女性観光客にも人気があるようです。

そしてもう1曲聞いていただきましょう。
歌い手の名は、木の根っこの、根という字を2つ並べて、ケンケン(根根)
曲名は、白い牡丹の花、パイムーダン(白牡丹)です。

こちらは、当時の台湾風情がストレートに伝わって来るイイ曲でした。
弓で弾く胡弓、月琴の弦の端切れ良い響きに、拍子木のアクセントも加わり、そして間奏では古琴も奏でられて、実にイイ雰囲気でした。

このケンケンという女性歌手、まだ若かったんでしょうね、実におおらかな歌声、大きな口を開けて歌っているのが目に見えるようでした。
先に聞いていただいたスゥンスゥンの歌が、台湾歌謡の新しい息吹を伝えてくれるとしたら、このケンケンの歌声、昔ながらの台湾の民謡調の歌声の楽しさを伝えているんじゃないでしょうか。

でも、内容的にはスゥンスゥンの先の歌と同じような歌詞で、白い牡丹の花が無垢な少女の比喩として使われ、恋人を待ち受ける少女の期待が、春を迎えた季節感に重なるような歌でした。

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