日本の人には分かりづらいでしょうが、このイラストは1981 年に仏大統領となったフランソワ・ミッテランです。時代は左翼の大統領が生れ、FM 電波が自由化され、国の音頭で巨大コンサート会場ゼニットが各地に建設され、インターネットの先祖「ミニテル」が普及し、というまだフランスの「進歩」が信じられていた頃。その進歩を象徴する「ススんでる」「新しいもの好き」を意味する当時の形容詞が「ブランシェ(Branché)」(コードでつながっている、コネクトしている)でした。すぐに「ブランシェ」なんてもう古い、それより新しいのは「シェブラン(Chébran)」、単に郊外あんちゃん風にブランシェをベルラン語(さかさ言葉)にしただけですが、シェブランが新しいことになったのです。ところが、この大統領はテレビのインタヴューで「シェブランなんてもう古いよ、今新しいのはCablé(カブレ。字句通りの意味は”ケーブル接続された”)なんだよ」と、若者通のような口を聞いて失笑を買ったのでした。さて、ボーンバッド・レコーズ、ジャン=バチスト・ギヨー、またまたの怪企画です。「シェブラン」の時代のサウンドです。FM の自由化で、それまでと違った7分〜8分のトラックがガンガンかかるようになる。初めからextended version しか作ってないような。あの頃、フランスは結構こういうのに自信があって、クラブなどでかかるフランス語歌詞・フランス語ラップのマキシシングルがゴマンと制作されたのでした。CHAGRIN D’AMOUR(chacun fait fait fait…)、ELEGANCE (Vacances j’oublie tout…), LE CLUB (Un fait divers rien de plus….)などがチャート上位にあった頃ですから。「フレンチ・ブギー 1981-1985」は、シンセ・ファンク、脳天気ディスコ、フランスならではのチーズ臭さ(田舎臭さ)の香る、ミッテラン的に進歩の自信にあふれたマキシシングル群です。気恥ずかしくもおめでたい、そういうエレクトロ・ファンクで、地中海クラブの全盛時代を飾った影のヒットチューンばかりです。十数年後に「フレンチタッチ」として洗練される前は、こんなものがフランスのDJ たちの仕事だった。そういう試行錯誤的な苦しさも。貴重なドキュメントです。CD(24 ページブックレット!)サプライヤーインフォより
http://www.bornbadrecords.net/releases/bb077-chebran-french-boogie-1981-1985/
1.INTERVIEW “SALUT LES SALAUDS” / 2. KROOTCHEY “QU’EST-CE QU’IL A” / 3. GERARD VINCENT”GERARD VINCENT” / 4. STYLE “PLAY BOY EN DETRESSE” / 5. PIERRE EDOUARD “A MON AGE DEJAFATIGUE” / 6. CASINO “PATE IMPERIAL” / 7. BIANCA “LA FOURMI” / 8. TRIGO & FRIENDS “LA DEGAIRE” / 9.HUGUES HAMILTON “JE M’LAISSE ALLER” / 10. PASCAL DAVOZ “CINEMA” / 11. ANISETTE “SCRATCH AUSTANDARD” / 12. PILOU “CA VA” / 13. HENRIETTE COULOUVRAT “MIAM MIAM GOODY GOODY” / 14. NEW PARADISE “EASY LIFE” / 15. GERARD VINCENT “T’AS QU’A FERMER TA GUEULE” / 16. ICH “MA VIE DANSUN BOCAL” / 17. ATTACHE CASE “LES CRABES” / 18. YANNICK CHEVALIER “ECOUTE LE SON DU SOLEIL”