PERET / ELS 18 EXITS ESSENCIALS

BNSCD-89092014年、フラメンコ界の巨星パコ・デ・ルシアが急逝したのは日本でも報道されましたが、実はスペインではもう一人有名な音楽家が息を引き取りました。”ルンバの王様”ことペレット(1935-2014)です。
●ルンバというとキューバやアフリカの音楽が有名ですが、ここでのルンバとはスペインはカタルーニャ州都バルセロナ(特にグラシア地区)でジプシー(ヒターノ)たちがラテン音楽やフラメンコを融合して発展させた庶民の音楽、ルンバ・カタラーナです。
●ペレットはそのルンバ・カタラーナを大成した第一人者。1935年カタルーニャ郊外のマタロに生まれ、10代ですでにステージにたっていたという生粋のジプシー音楽一家育ち。60~70年代にはヒット曲を飛ばしまくりますが、一時は時代の流れもあって引退したものの、1992年のバルセロナ・オリンピックのセレモニーにも出演し完全復活。90年台後半以降にはオホス・デ・ブルッホやマヌ・チャオらRADIO CHANGO周辺が引き起こしたメスティサヘ・シーンのサウンドのルーツとして、さらにリスペクトを集めた大音楽家です。
●例えば、00年発表のアルバム”El rey de la rumba”ではバルセロナからトロバ・カンフーの前身バンドやN.Yからデビッド・バーン、仏からはセルジャン・ガルシア、そしてバスクのフェルミン・ムグルサら錚々たるメンツとコラボレーションしました。その後、ルンバ・カタラーナは、DJたちからレア・グルーヴ的に再解釈され、マドリードのLOVEMONKやイギリスのSOUL JAZZといったレーベルがコンピレーションを続々発表しています。もちろん地元バルセロナのレーベルもルンバ・カタラーナのヴァイナルをリデザインし再発したりと、世代やジャンル超えて再びこの名前が知られることとなりました。もちろんペレットはこれら作品にも、最初にフィーチャーされています。
●そんなバルセロナの顔とでも言えるペレットが、肺ガンにより息を引き取ったのは2014年8月27日。カタルーニャ州政府が死亡を発表したり、地元ではTV特番が組まれたりと、最後までバルセロナの人々に愛されて送られたようです。
●今作はそんなペレットの追悼盤ともいうべき本邦初の国内盤。ルンバ・カタラーナのヒット曲集とともに、60年代からのカタルーニャ庶民の風景が透けてみえるような楽しい一枚です。独特のギター奏法に親しみやすいメロディ、ついつい踊ってしまう普遍的なグルーヴ。それらは現役のDJたちをうならせ、ベテランのラテン・リスナーもついつい頬を緩めてしまう魔力を持っています。
●マヌ・チャオやチェ・スダカ、ラ・トローバ・カンフー、ムチャチートらのバルセロナ・サウンドの重要なルーツ・ミュージックでもあり、ジプシー音楽として聴いても面白い。敷居が低いが、チャラくないラテン歌謡&ディスコ!?サウンズも飛び出します。
●日本盤解説は、バルセロナ在住の海老原弘子女史による詳細な現地発リポートです。もうあとは踊り語り、飲むしかない!そんな音楽です。ワールド・ファン全員におすすめです!是非聴いてください!
(以上、メーカーインフォより)

曲目表:
1. EL MEU PARE, EL MIG AMIC 我が父(1968年)
2. DE CAP A LA PALLA わらに飛び込め(1981年)
3. PA AMB OLI オリーブオイルをつけたパン(1981年)
4. GITANA HECHICERA 魅惑的なヒターノの娘(1992年)
5. BORRIQUITO おバカさん(1971 年)
6. UNA LAGRIMA 一粒の涙 (1967年)
7. SOY LA RUMBA オレがルンバ( 1992年)
8. QUE DISPAREN FLORES 花を撃て(1995年)
9. MI TIERRA 我が大地(1995年)
10. COMO ME GUSTA こんなに好きなのに(1993年)
11. PARA ADELGAZAR 痩せるためには( 1993年)
12. DON TORIBIO ドン・トリビオ(1966 年)
13. RUMBA PA TI 君に捧げるルンバ (1966 年)
14. BELEN Y TOMASA ベレンとトマサ(1991年)
15. NO SE PUE AGUANTAR 我慢できない(1991年)
16. Y NO PROVOCAN でも、挑発的ではないのさ(1991年)
17. PORQUE YO ME IRE 僕が逝くのは(1993年)
18. EL MUERTO VIVO 元気な死人(1990年)

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