一味違うベンガルのバウルですね。何と言うか、托鉢、あるいは門づけ(マドゥコリ)のためのバウルの歌であり演奏かと思うと、これは違いますね。ナント言いますか、レコーディング・アーティストとしてのバウルとでも…。カースト制度からの社会的に公認されたエスケープ人生〜“生き方”として確立されているベンガルの秘教的音楽家たち、バウルですが、これまでのバウルの音楽には感じられないアーティスティックな面白さ、ベンガル音楽やインド音楽への造詣に基づくミクスチュアーというものを感じさせる音楽性だと思います。そして、謡うはベンガルのバウル先達でもあり、タゴールと並び称される農村の風狂詩人、フォキル・ラロン・シャハ(1774?-1890)の哲学詩。バウルに独特な弦/擦弦/打楽器や口琴に加えて、バンスリやヴィーナも巧みに使用、歌い口もムスリム系スーフィーのメリスマを応用している感じですね(ま、そんなに上手くはありませんが)。バウルもいろいろになって来たようで…。