V.A. / AMANEDES 1928-1934

“アマネーデス” (もしくはアマーン・ソング or アマネス or カフェ・アマーン)とは、トルコ語に由来する “アマーン” という慈悲や哀れみを意味する言葉を、オスマン・トルコやアラブ、そしてセファルディ等の伝統音階に沿って、独特に引き伸した節まわしで聞かせる即興的要素が濃い歌のスタイルかと思われます。本CDは、そんなアマネスのギリシャに於ける1928-1934年のSP録音を集めた復刻編集盤です。
20世紀初めの住民交換ではギリシャからは50万人のムスリムがトルコへ、トルコからは150万人の東方教会信者がギリシャへ帰還しました。トルコから帰還したギリシャ人の中には音楽家達も多く(いわゆるスミルナ派)、そんな中には、「ああ、神さま」とか「oh my god!」というような意味あいで “アマーン” という歌いまわしを繰り返す、ある種の嘆き節、アマーン・ソングを歌う者も多くいたでしょう。そうした歌唱パフォーマンスの担い手は “アマナード” と呼ばれ、その複数形が本CDタイトルの “AMANEDES” です(そのアマネーデスそのものが、アマネス、アマーン・ソングを意味することもあるようです)。
長々とした “アマーン” 歌唱の導入部においてチャージされた感情や気分が、その後、ブズーキやヴァイオリン伴奏で開始される主題部分の情感表現の引き金となっているようにも感じられるこのアマーン・ソング、そんなスタイルに類した歌謡は、古くはオスマン帝国の版図の広がり、トルコからギリシャ、バルカン半島でも、類似したものがそれぞれの土地で聞くことができたとされますが、そうした歌謡スタイルは、東方の風俗として移入されていた “カフェ” で演じられたため、“カフェ・アマーン・ミュージック”と呼ばれることもあります。このカフェ・アマーン・ミュージックは、すなわち初期スミルナ(アナトリアの港街イズミール)派のレベーティカの音楽性とかなりの部分、オーヴァーラップするものと察せられます。
ちなみに、このスミルナ派は現ギリシャ音楽の基本ともされるゼイベキコ(9拍子)のリズム、あるいはトルコやロマのベリーダンス系リズムに由来するチフテテリをギリシャ音楽にもたらしました。
対して、ギリシャのフォークロアやビザンチン様式の教会音楽の影響から派生したとされるピレウス(アテネ近郊の港街)派のレベーティカは、カフェに対してテケ(阿片窟)を温床として発展した、貧民街や暗黒街のアンダー・グラウンドな歌謡として20世紀初頭に生まれました。
が、スミルナ派のトルコ的な音楽要素と交わることで次第にピレウス派レベーティカの担い手達(その多くは、“マンガス”と呼ばれた男性、下層労働者であり貧民窟出身者)も、SP録音等によりアンダーグラウンドからオーヴァーグラウンドな存在になるにつれ、テケではなくカフェ(ナイトクラブ、もしくはタヴェルナ)において歌い演じることが多くなり、このマンガスとアマネデスの2つのスタイルが次第に交わって行くことで、現在まで続くギリシャ歌謡の基礎、レベーティカからライカへの潮流が生み出された、と言うことはできるでしょう。
その意味で、本CDに収めれたSP音源群は、トルコ帰還者を得て発展することとなる、現代ギリシャ歌謡形成の一つの大きな要因となる過去のスタイルであったことは、確かと思われます。

以下、余談〜
ただし、1936-37年に成立した独裁的政権が発した検閲において、「トルコ語」または「東方的」メロディーと楽器演奏(ウード、カヌーン等)を禁止したため、このアマーン・ソングは(定形スタイルとしては)ほどなく消えて行きます。その後、アンダーグラウンドな歌詞の主題や、トルコの風俗に由来する歌詞内容まで検閲を受けるようになり、スミルナ派の音楽的実質はやや希薄にならざるをえず(そのため、スミルナ派音楽家の北米移住も少なくありませんでした。加えて、本CD収録曲も1934年までの録音に限られます)、あるいは、ピレウス派も歌詞内容の変化とともに、スミルナ派スタイルとの折衷傾向を受け入れることになったとも考えられます。
この検閲は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるギリシャ占領時代まで続きますが、占領下ではすべての録音活動、並びに多くの音楽活動が禁止されもしました。続いて、大戦後に勃発したギリシャ内戦時(1946-49)にも、アテネやピレウスが戦場となったため、音楽家の多くはテッサロニキに移動し活動することになります。
そうした受難の時代が続いた黎明期のギリシャ大衆音楽ですが、1950年代を迎えると大戦前のシーンに登場していたヴァシリス・ツィツァーニス(西洋クラシックの素養を持った法学生でもあり)を中心として、スミルナとピレウスの要素を音楽的にミックス、その上で、初期レベーティカの持っていたアンダーグラウンドな指向性も払拭し、より大衆的な歌謡としてライカ・トラゴディア(ライコ=“人々”の意 / トラゴディア=“歌”の意)が生まれることになり、“人々の歌” すなわち大衆の歌謡である“ライカ”の時代が始まるわけです。
というわけで、誰に頼まれるわけでもなく、アマーン・ソングから紐解いた20世紀前半ギリシャ歌謡の大筋を説明しましたが、おわかりいただけたでしょうか?

01 Ρουκουνασ Kκωστασ- νεβα ραστ μανεσ – σαν το σβησμενο καρβουνο
02 Σοφρωνιου βαγγελησ- σουλτανι μανεσ – πολλεσ φωτιεσ με τριγυρνουν
03 Αραπακησ Mητσοσ- ουσακ μανεσ – κλαιω κρυφα κι αλυπητα
04 Kαριπησ Aωστασ- ραστ μαχουρ – ολοι με λενε φθισικο
05 Nουροσ Kωστασ (μαρσελοσ)- ματζορε μανεσ – αφου εσυ με μισησεσ
06 Pουκουνασ Kωστασ- νεβα γκαζελ – αναθεμα την τυχη μου
07 Pουκουνασ Kωστασ- ραστ μανεσ – πεθαινω με παραπονο
08 Παναγησ Χαραλαμποσ- σαμπαχ μανεσ – στο στηθοσ μου δεν εμεινε
09 Εσκεναζυ Ροζα- ταμπαχανιωτικοσ μανεσ – στην τελευταια μου πνοη
10 Σοφρωνιου Βαγγελησ- χετζαζ μανεσ – οσοι κρυφα μαραινονται
11 Διαμαντιδησ Αντωνησ ή νταλγκασ- βερεμλη σαμπαχ μανεσ – μανα μου διωξε τουσ γιατρουσ
12 Ρουκουνασ Kωστασ- χουσεϊνι μανεσ – κρυβω τη δυστυχια μου
13 Παναγησ Xαραλαμποσ- ουσακ μανεσ – αφηστε με να καιγομαι
14 Αμπατζη Ριτα- γαλατα μανεσ – λησμονησε ολοτελωσ
15 Δημητριαδησ Tετοσ – τζιβαερι μανεσ – τι να μου κανει η τυχη μου

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