人は何を信じて生きるのか・・?
政治に翻弄され、40年間の幽閉生活で孤絶の果てに追いやられた土佐藩士の娘、<婉>の生涯を描いた大原富枝の不朽の名作『婉という女』を、桃山晴衣が現代語浄瑠璃で語り唄った画期的ライブ録音!
作曲・語り・唄・三味線・・・・桃山晴衣
作本・・・・・・・・・・遠藤利男
原作・・・・・・・・・・大原富枝
ライブ主催・・・・・・・金沢、茶房犀せい(村井幸子)
録音・・・・・・・・・・石川県立能楽堂 1986年4月23日
CD企画プロデュース・・土取利行(立光学舎)
ミックスダウン・・・・・須藤力(モルグ社)
ジャケットデザイン・・・小倉佐知子(工作舎)
制作スタッフ・・・・・・井上博斗
全20トラック:43分36秒 (ストーリー毎に20トラックに分けられています)
■桃山晴衣の現代浄瑠璃『婉という女』土取利行
『婉という女』は1965年2月の「群像」に発表され、毎日出版文化賞、野間文芸賞を受賞した大原富枝、不朽の名作である。江戸時代中期の土佐藩で、政治的に失脚した野中兼山一族と共に四才の娘、婉も山中に幽因され、父、兄弟、姉が次々と死んでゆくのを目の当たりにしながら、人として、女として生きてゆくことを奪い取られたまま、四十年間外出を禁じられ、世間から閉ざされてしまう。そして幽因中、唯一書面での話が許され、恋心を感じていた男と、赦免を受けて世に出た後に出会うも、彼もまた父と同じ「政治を通してしか愛せない」男であった。政治に翻弄され、何もかも失い孤絶の果てに追いやられた一人の女にとって、この閉ざされた社会の中で生きていくというのはどういうことだったのか。大原富枝はこの婉の生き様を歴史資料と照らし合わせながら、女のいのちの奥深さをあぶりだし、描いた。 桃山はこの重厚な現代文学を於晴会の仲間であった水沢周から「語り物」にするよう勧められ、それにあたって、当時NHKのテレビドラマのプロデューサーをしていた遠藤利男が脚本を担当し、聞き手にストレートにことばが伝わるような現代語でのテキスト作りにとりかかった。遠藤は桃山のこれまでにない世界が立ち現れるのを期待しつつ、「私は詞章を書きながら、そのままで「オペラ」「ミュージカル」にでもできることも狙っていた」らしく、自分の頭のどこかで、「ベルクやクルト・ワイルやバーンスタインの音が響いていた」という。しかし桃山は遠藤氏のこの狙いを完全にキックアウトし、彼方に追いやってしまった。こうして彼女は詞章に節回しをほとんどつけない素語りの部分と、十三曲からなる唄の組み合わせで構成した一時間十五分におよぶ作品をジャンジャンでの「古典と継承」の会で処女作として発表したのである。なお、この録音は初めてこの作品を発表してから10年近くを経た1986年の再演であるが、なおも気魄に満ちた桃山晴衣の語り世界の瑞々しさを伝えてやまない。(CD桃山晴衣『婉という女』解説書より)
■桃山晴衣プロフィール
東京生まれ。大叔父に長唄の吉住慈恭、祖母に宮薗節の宮薗千林、幼少から三味線を始め、20 歳で桃山流 設立。63 年より四世宮薗千寿のただ一人の内弟子となり古曲宮薗節の奥義を極める。71 年より邦楽界を離れ独自の三味線弾き唄い・語りの世界を展開。この時期、添田知道師より演歌を本格的に習う。
79 年ビクターより中村とうようプロデュースで最初 のアルバム「弾き詠み草」、翌年「梁塵秘抄」を発表し話題をよぶ。87年より、土取利行と郡上八幡に「立光学舎」を設立し、地域での芸能活動も展開。ピーター・ブルックの「テンペスト」 音楽も担当。晩年は『夜叉姫』『浄瑠璃姫』『照手姫』など、今様浄瑠璃三部作を創作。2008 年 12 月 5 日逝去。
CD『弾き詠み草』『梁塵秘抄の世界』『鬼の女の子守唄』『夜叉姫』『わらべうた』『林雪/三味線古譜復元集』『夢二弦唱』『うたづくし/小唄・端唄集』等。著書『恋ひ恋ひて・うた・三弦』『梁塵秘抄・うたの旅』
(メーカーインフォより)