添田唖然坊などの大正演歌を、ともに1978年生まれだという岡大介と小林寛明がカヴァーした異色作。岡大介がカンカラ三線、小林寛明がラッパ二胡という編成も特異です。参加ミュージシャンは、中尾勘ニ、関島岳郎、戸次和歌子、熊坂路得子。「東京節」「復興節」といった有名曲に岡大介の自作曲も織り交ぜ、日本の忘れられた音楽の再生を試みた意欲作です。
以下、メーカーインフォより
「多くの演歌師が鬼籍に入ると共に、数多くの唄を彼岸に持って行ってしまった。往時の演歌は忘れられる運命にあるのかと、あたしなども躍起になってその紹介に勤めてきた。だがここへ来て、そうした演歌に接することができた。これはありがたくもあり、貴重な仕事でもある。このCDに懐かしさは感じるが、古さはない。演者の唄に対する思い入れがそこに反映されているからに違いない。新しい解釈の演歌がここにはある。それは決して古の唄ではなく、新鮮な唄である。今、石田一松から桜井敏雄、そして私に受け継がれたヴァイオリンが手元にある。このCDに触発され、久々にそれを取り出してキ~コキ~コとやっているところである。」なぎら健壱
温故知新?!ニッポン独自のネオ・ルーツ・ミュージックの誕生!!
本作「かんからそんぐ」で取り上げられているうたは添田唖蝉坊・知道親子はじめ、大正時代に活躍した演歌師たちの作品です。演歌といっても現在の演歌とは違い、「演説の歌」。当時の演歌師は社会&世相風刺を題材にした唄をヴァイオリンを弾きながら街頭・町辻で歌い流していました。いまでいうところのストリートミュージシャンのご先祖様ですね。
1960年代、アメリカのフォークソングが我が国につたえられたとき、真っ先にその舶来メロディに唖蝉坊の歌詞を乗せてうたったのが、今は亡き高田渡。つまり、日本のフォークの事始めは演歌をお手本としたのでした。
時を経てフォークはニューミュージックへと移り変わり、現在のJ-POPと繋がる日本ポップス変遷史。その源流を辿ると大正期の「演歌」にぶつかります。なにしろ、シンガーソング/ライターの元祖が唖蝉坊はじめ、当時の演歌師たち、自作自演は当たり前でしたから。そう、大上段に申すなら、大正期の演歌こそ、我が国におけるポップスの原点なのです。とは言え。そのことをこの国の民衆が忘却して久しく、ここに二人の革命児の登場と相成ります。
アーティストについて
一人は戦後の物資窮乏の沖縄で使用されていた“かんから三線”、一人はニッポンにただ一つという“ラッパ二胡”を携えて。若干20代。彼らにとって「おじいさんたちの代の唄」を気持ちよく歌い始めたのでありました。
岡は往年の演歌を彼独自のフィーリングを加えることによって、現在でも立派に通用する「今の唄」へと蘇生させています。隣で岡をひたすら、叱咤激励・鼓舞する小林寛明は本邦最大の実力派チンドン集団・ちんどん通信社で5年間の修行を積み、腕を磨きに磨いたスグレモノ。現在は岡の唄にとって、欠かすことができないパートナーとなりました。
さらに。サポートに名手・関島岳郎、中尾勘二等の腕利きを加え、いにしえの演歌にチンドン、昔懐かしいジンタ(ジンタッタ、ジンタッタ…サーカスの音楽ですね)の薫りをそこはかとなく漂わせたりして。嗚呼、実際にこの音楽をなににたとえましょうか。パリの空の下で鳴っていてもおかしくないような「街頭音楽」といえばいいのかなあ。それとも東欧あたりのブラス音楽…。ともあれ今・此処にミュゼットなんかの世界的大衆音楽とも相通ずる、インターナショナル且つこの国独自の伝統に根差した「ネオ・ルーツミュージック」が誕生しました!
「日本に生まれ日本で育った、日本には僕が知らなかったこんなに素敵な歌があった。音楽があった。うたをつくられた唖蝉坊さん&知道さん、教えてくださった高田渡さん、ありがとうございました。微力ながら僕もあなた方が灯した燈りを絶やさないよう、しっかりと歌い継いでまいります。カンカラ、ラッパ、ジンタの調べに乗せて、あの世の果てまで響きわたれ!ニッポン音楽復興、エーゾエーゾ!!」 岡大介
1. 東京節
2. ラッパ節
3. お前とならば何処までも
4. ストライキ節
5. 港唄
6. むらさき節
7. 思い出した
8. 復興節
9. 浅草唄
10. 新どんどん節
11. マックロ節
12. ホロホロ節
13. あきらめ節
14. ノンキ節
15. 五月の歌