『祝復刻! E.T. Mensah All For You』by 深沢美樹さん


★あまりにもタメになるので、日頃フェイスブックを観ていない方にも是非と思い、 深沢美樹さんのfacebook 2015/3/2 -18 <https://www.facebook.com/yoshiki.fukasawa.3>より、ご本人にお断りして転載させていただきました。
深沢さんによる、その具体的なアナログ盤やCDに即したアフリカ音楽横断的エッセイ on FACEBOOK (アフリカ以外もいずれはお書きになるでしょうけど)は、本稿 E.T.メンサー・ディスコグラフィー&補考に限らず、どれもこれも大局を見定めつつ微に入り細に入り、正鵠を射ています。しかも、わかりやすい。いつか出版して欲しいぐらいです。
(本来ならば、コレクターズ誌にでも連載してしかるべきかとも思いますが、そういう感じでもなくなっちゃってますからね、今は)

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祝復刻! E.T. Mensah 4cd&book!


★祝復刻! E.T. Mensah All For You 1

レトロアフリックの例のブツ、E.T.メンサー4枚組CDが早くも渋谷エルスールに入荷との報を受け、早速入手しました。正式発売日はガーナ独立記念日の3月6日ですが、一刻も早く聞きたいというファンの願いに応えた原田店主のファインプレーのおかげ。いつもご苦労様です。

聞き終えて、正直幾つか注文を付けたいところもありますが、ま、ここは素直にお祝いを兼ねてメンサーのディスコグラフィーをお届けする事にしましょう。
メンサーの公開ディスコグラフィーは、ぼくの知る限り一番まとまったものはアフロディスク掲載のものですが、SP盤はやはり何枚か抜けていて完璧ではありません。
今回はぼくの把握している物も加えてご紹介しますが、勿論これで完璧かどーかはまだ分かりません。とりあえず現在知り得る限りのものという事で参考にして下さい。
メンサーは52年のデッカへの吹き込みが初録音と言われています。彼は言うまでもなくガーナに於けるハイライフの中心人物にして第一人者。ナイジェリアのハイライフにも多大な影響を与えました。
現在投稿を続けているパームワイン音楽がアフリカ最初のポピュラー音楽とするならば、E.T.メンサーと彼のテンポスは最初のアフリカン・ポップ・スターと言えそうで、ガーナ、ナイジェリアのみならず西アフリカ一帯に強い影響を残しました。
彼の創造したハイライフはブラック・アフリカで最初に独立を達成したガーナのボリティカル・シーンと重なりあい、その源流は英国に於けるカリブ移民とアフリカ移民の交流の成果でもある訳ですが、そんな話はいずれまた機会を改めてしたいと思います。
そう、今回は固い話はぬき。レコード紹介中心で行きましょう。

★祝復刻! E.T. Mensah All For You 2

さて、以下に記載したものがデッカのオリジナルSPのリストです。
煩雑になるので今回マトリックスは記載していませんが、一通り確認した所、録音順にレコードも発売されていると分かりました。現在確認出来るメンサーの初録音は ”Bus Conductor” が最初の曲となる訳です。
このデッカでの最初のセッションの後、53年に英HMVにSP盤4枚分の録音も行なっていますが、再びデッカへ大量の録音を行なっている事が分かりますね。
曲目冒頭に●マークのあるのが、今回レトロアフリック盤CDに収録されたもの。*マークはアフロディスクのディスコグラフィーには未掲載のものです。

◆Decca WA series
WA 634 ●Bus Conductor / ●Afi Fo Fro
WA 635 ●Korle Bu / ●Small Boy
WA.636 ●Onua Pa / ●Shemi Ni Oya
◆HMV
JZ 5398 Ayeley Dzulo / Afi Kome
JZ 5399 Mi Te U.T.C. / Nkrumah
JZ 5401 Ayele Sakabo Dze Nishona / Mi Ke Mi Dzole
JZ 5517 Dagomba Wiri / Fanti Star Band – Wonsu Me Na Menko

HMV録音のSPはぼくは一枚しか持っていませんが、こちらはまったく未復刻。今後のリイシューが待たれます。
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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 3

ここからメンサーの実質的な快進撃が始まります。”Donkey Calypso” ”Tea Samba” ”All For You” ”St.Peter’s Calypso” など初期の記念碑的楽曲が録音されました。
他にもタイトルにカリプソと付いている曲が多いのですが、それは当時英国で最先端だったカリプソからの影響を受けていたからです。
ドラマーだったガイ・ウォーレン(コフィ・ガナーバ)は英国でのカリブ音楽シーンに交わり、スマートでシャープな英国カリプソのサウンド・スタイルをガーナに持ち帰り、メンサーと共にジャズやラテン音楽の要素も含めたガーナ流ミックスを試みました。
それは独立へと向かい高揚するガーナの社会状況と重なり、結果、彼らが創造したハイライフはそんな新しいガーナの時代を象徴する音楽となったのでした。

◆Decca WA series
WA 701 ●Nkebo Baaya / ●Donkey Calypso
WA 702 ●Adainkua / ●Tea Samba
WA 703 ●All For You / ●St.Peter’s Calypso
WA 704 ●Munsuro / ●Essie Nana
WA 705 ●The John B.Calypso / ●Odofo
WA 720 *General Election / Suntan Oblayei
WA 721 ●Inflation Calypso / ●Nkatie
WA.722 *Araba Gyewa / Fe Mo Mramba
WA 726 ●Asembon-Tie M’ansem / ●Wiadzi
WA.727 ●Fomfom / ●Agriculture
WA.746 Saadzifo / Stormy Ass
WA 747 Laura / Kratchi
WA 748 ●Don’t Mind Your Wife / ●Sunday Mirror
WA 767 Happy Boy / Boku Obei Amlin Ne
WA 768 ●Akpanga ” Vulture” / ●Club Girl

*この「クラブ・ガール」という曲、まさに英国カリプソからの影響を象徴する曲と言えますね。アレンジや歌い方など、かなり勉強した事が分かります。

WA.787 *Kusimilay / Ohentse
WA.788 Asaba / Givam Baya
WA 789 Owu Asem / Madzi Nyinaa
WA 804 ●Ahomgyee / ●Moochoo Mambo
WA.805 ●Onua / ●The Tree And The Monkey
WA 806 ●Nothing But A Man’s Slave / ●Sanbra
WA 807 Suzie Suzie / Eyi Se
WA.826 Yi Wu Kete / ●Ghana Freedom
WA 842 ●Akuafo Cocoa / ●Natsui
WA 843 ●Novinye / ●Loffoh Bibio
WA 844 ●Bashia / ●Because of Money
WA 845 ●Mr.Mouse / ●Owu Aye Me Adze
WA 857 ●Calabar O / ●School Girl
WA.858 ●Yei Ngbewoh / ●Makoma
WA 859 Aranah / Mumude
WA 860 Dzinba / You Call Me Roko
WA 861 Kente Dance / Daddy Drunkard
WA.879 Nyeme Gale Dzio / Nancy
WA.896 Trovafe / Siabotar
WA 897 Wowolo / Enigye
WA 898 ●Auntie B. / ●Ngele Waewae
WA 899 ●Kwame Nkrumah / ●Muntum
WA 900 ●Hweyie /●Menye Wo Bowu
WA 922 No Money No Bus / Nyame Nne Wiadzei
WA 923 Queen’s Welcome / Greting to Your Majesty
WA 924 Otanfo / Afi Hei
WA 925 Daddi Kyi / Kpondue Lo Ho
WA 932 ●Comfort / ●Renkyebo
WA 968 ●Akole Manuma Dibi / ●Nimpa Nawie
WA 969 Nyame Aye Bi Amahen / Kana Minka
WA 970 Soro Ahinman / Kasapa
WA 971 Yaa Amponsa / Gya Esu

音楽的な魅力に加え、彼らが大きな人気を獲得したもうひとつの要素としてガーナ国内の様々な民族の言葉でこだわりなく歌い、パームワイン音楽や民俗的音楽も取り入れるなど、柔軟な姿勢を保持していたからでしょう。
それでは1曲聞いてみましょうか。先ほど触れた英国カリプソ・マナーの「クラブ・ガール」です。

★祝復刻! E.T. Mensah All For You 4

デッカにはWA(ウエスト・アフリカの略)規格に続いてGWA規格(ガーナ・ウエスト・アフリカでしょうね)があります。
WAにガーナのGが付いたのは独立した1957年以降、恐らく60年代に入ってからのものだと思います。GWA4012はガーナ、ギニア、マリの3ヶ国によるアフリカ諸国連合がテーマで、マリは61年に連合に参加しましたので、その頃の発売と言えますね。

◆Decca GWA series
GWA.4012 ●Ghana, Guinea, Mali / Me Da Wo Ase
GWA 4013 ●Gbaami Anokwale / ●Onipa
GWA 4014 Nigeria Freedom / Keyere Mon
GWA 4025 Odo Pa / Weeye-Weya
GWA 4026 Play Samba Merengue / San Bra
GWA 4059 Yaato Ono / Meeye Ayera
GWA 4060 Adwe Okusi / Yeedzi Nswe
GWA 4061 Nmene Oli Mi / Mma Nseeme Dzin
GWA.4082 Me Dofo Bra / Eyimi Eyimi
GWA.4083 ●Abele / ●Odo Anigyina
GWA 4109 Oba Fefeefe / Ma Were Kye-Kye
GWA 4132 Madanfo Hiani / Nku
GWA 4133 Ahunto Sane / Obideaba
GWA 4147 Menka Hwee / Baby Mondo
GWA 4148 Owu A Mewu / Obi Mpe Obi Pe
GWA 4175 Mani Agyina / Aaya Lolo
GWA 4176 Oninsan Hwe / Bata
GWA 4203 Maware / Men Tan Mi
GWA 4212 Aboko / Tutugborvi

メンサーはデッカ、HMV以外にも録音をしています。アフロディスクのディスコグラフィーにも記載が無い通り、あまり知られていませんがまだ英国領だった時期に特産品ココアの宣伝企画として制作したSP盤で、メンサー以外にジョー・ケリーが吹き込んだ物もあります。
ジョー・ケリーはもともとメンサーが加入する前の、オリジナル・テンポスのバンド・リーダーだった人。
メンサーのSP盤は、なかなかの演奏でこちらもリイシューが待たれる1曲でしょうね。

◆Gold Coast Government
GCG 108 Cocoa Highlife / same

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 5

祝復刻E.T. メンサー!
今日3月6日はガーナの独立記念日ですね!
ちなみにガーナ独立はサハラ以南のアフリカでは最初の事でした。それまでアフリカの国々はイギリス、フランスなどヨーロッパ列強の植民地として搾取されていたんです。
紳士の国イギリスも、表現の自由の為に何百万人がデモ行進するフランスも、彼らがアフリカに対して行った植民地支配への謝罪をしたという話しは聞いた事がありません。
ぼくは20歳くらいからアフリカ音楽を聞き始め今56歳ですが、日本人ながらその事に強い憤りをずーっと感じています。ぼくが、やっぱり西欧的価値観に馴染めないというか、根底にある不信感が拭えないのはそのせいかも知れません。
結局、西欧文化は自己の思想の押し付けなんですね。コミュニティ外の他者に対する「和」という考えが欠落してるんじゃないでしょうか。その事にぼくは違和感を感じて仕方ありません。
例のシャルリー・エブドの問題、何故テロが起きるのかの根源的な問いを無視した画一的な武力だけの対応、その他もろもろ。
どうして西欧は自己の主張を押し通す事を優先するのか、謝罪すると自己の負けを認める事になるから、とか良く言われますが、そんな上辺の問題でないと思います。
「和」の思想の欠落の原因、その病理は何百年にも渡る奴隷貿易から近代植民地支配までの、長い期間によって形成されたんじゃないかと思っています。
奴隷貿易、植民地支配に於いて人間をモノや支配の対象としか考えないコミュニティに「和」の思想は生まれません。他者に対する配慮、融和や理解の姿勢がほとんど見られないのもしかり。
奴隷貿易と植民地支配によってヨーロッパが得たものは世界中の富、「和」の欠落した文化と要約できるかも知れません。
そして奴隷貿易と植民地支配、その最大の犠牲者はアフリカの人々だった事(アジア、カリブ、南米も)、アフリカ音楽が好きな若い人たちには、その事を少し考えて貰えたら幸いです。
あ、カタい話しは抜きだったはずなのにね、つい。

*ガーナの国旗は1957年の独立の際に制定された。製作者はTheodosia Okohである。汎アフリカ色の三色を使用しており、赤は独立の為に流された血を、黄は国の鉱物資源と富を、緑は森林と自然の恩恵を、中央の黒色の星はアフリカの自由を象徴している。*ウィキペディアより無断転載

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 6

さて、今回はメンサーのEPと10インチのご紹介です。前回のSP盤リストを見て頂ければ分かると思いますが、EPと10インチの内容は全てSPやシングルで発売されていた物から収録・編集されたものです。
*前回と同じく●マークはレトロアフリック盤CDに収録された曲。

◆Decca EP Records
◎WAX 101 ●Hweyie / ●Menye Wo Bowu / ●Ngele Wae Wae / ●Auntie B
◎WAX 104 ●Kwame Nkruma / ●Muntum / Siabotar / Trovafe
◎WAX 106 ●Bashia / ●Novinye / ●Calabar O / Nyeme Gale Dzio

まずこの3枚は59年末から60年1月にかけ発売されていたようです。ジャケットの隅に書かれている11/59とか1/60という数字、これが手掛かりになるんですな。
WAX 104収録の ”Kwame Nkrumah” は言うまでもなく、ガーナを独立に導いたパン・アフリカニスト、初代大統領クワメ・ンクルマーの事。ガーナ独立や他のアフリカ諸国の独立にも尽力し高く評価される反面、独立後の国内政治では独裁化、中央集権化に陥り66年クーデターで失脚。
メンサーのこの曲は恐らく60年にガーナが共和制に移行してンクルマーが初代大統領になった頃の録音。まだンクルマーが人気があった頃で、内容も彼を称えるものだと思います。

◎WAX 113 Ghana Highlifes Vol,1 : Broadway Dance Band – Ashewo / Kowue b/w E.T.Mensah and his Tempos Band – ●Nimpa Nawaie / ●Akole Manuma Dibi
◎WAX 114 Ghana Highlifes Vol,2 : The Black Beats Band – Lai Momo / Nantsew Yie b/w E.T.Mensah and his Tempos Band – Yaa Amponsa / Gya Esu
◎WAX 116 Ghana Music Box Vol,2 : Stargazers Dance Band – Adesa Beka / Wodze Beyewo b/w E.T.Mensah and his Tempos Band – Nyame Aye Bi Amahen / Kana Minka

上記3枚はブロードウェイ・ダンス・バンド、ブラック・ビーツ、スターゲイザース達とメンサーを組み合わせた内容。何れもメンサーに次ぐガーナの実力派ハイライフ・バンドで、確かにこの3者の選出には納得。彼らもいいですよー!
WAX 114収録の ”Yaa Amponsa” はパームワイン音楽のスタンダード・ナンバーで、メンサー流ハイライフで聞かせます。

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 7

ここからは10インチ盤のご紹介。メンサーの10インチは編集盤を除き単独盤としては7枚あります。発売は58年末から63年にかけてと分かっています。

◆Decca 10” Records
◎WAL1001 E. T. MENSAH AND THE TEMPOS
side A: ●Donkey Calypso / ●Tea Samba / ●Shemi ni Oya / Laura / ●Munsuro
side B: ●Sunday Mirror / ●St.Peter’s Calypso / Obaayi fi Kumasi / ●Nkebo Baaya / Stormy Ass
◎WAL1002 E. T. MENSAH AND THE TEMPOS : NO.2
side A: Odo Handkerchief / ●JohnB. Calypso / O Hentse Mi Lo / ●The Tree And The Monkey / ●All For You
side B: Givam Biya / Susie, Susie / Asaba / Owu Asem / Awirehow
◎WAL1003 E. T. MENSAH AND THE TEMPOS : A STAR OF AFRICA
side A: ●Calabar O / ●School Girl / ●Makoma / ●Yei Ngbewoh / Mumude
side B: Dzinpa / You Call Me Roko / Kente Dance / Nancy / Nyeme Gale Dzio

レトロアフリック盤には上記3枚から初期〜中期の代表作が収められましたが、まだまだいい曲もありますね。
WAL1003の ”kente Dance”のケンテと はガーナの民族衣装のことですが、ウィキペディアの解説を引用すると、
《長く続いたイギリスの植民地支配からの独立後に出来たもので、ガーナの独立はアフリカ大陸で初のブラック・アフリカンが自ら勝ち取った独立として記念すべきものであった。ケンテの色彩には独立運動への誇りと、国土への愛情が込められている。 民族の団結や民族意識の高揚を目指して作り出された典型的な「新しい民族衣装」の一つである》
とあります。このケンテ布の衣装を着て行われるダンス・パーティがテーマの曲ですね。間奏のサックスがスウィートでいいですよー。

◎WAL 1004 VARIOUS ARTISTS : GHANA FESTIVAL
side A: ●Hweyie – E. T. Mensah and his Tempos Band / Suumo Gboo Ke Moo Shi – The Black Beats Band / Destiny of Africa – Onyina and his Guitar Band / Ao Adofa – Spike Anyankor’s Rhythm Aces Band / Won Ntuntun Henwura – The Stargazers of Kumasi
side B: ●Menye Wo Bowu – E. T. Mensah and his Tempos Band / Dear So Abotar – The Black Beats Band / Onipa Nye Hwee Wiase -Onyina and his Guitar Band / Fabra Mento Bi – Spike Anyankor’s Rhythm Aces Band / Edusei – The Stargazers of Kumasi

WAL 1004は編集盤でメンサーは2曲収録。

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 8

WAL 1009からは1曲しかCD化されていませんが、このアルバム以降のテンポスは演奏も更に磨きがかかり、実は一番いい時期だと思います。ちょうどガーナが独立した57年から65年くらいの時期にあたります。
WAL 1009は軽やかな演奏ながら実にシャープなリズム感覚が溢れ、アルバムとしても聞き応えたっぷり。

◎WAL 1009 E. T. MENSAH AND THE TEMPOS : TEMPOS ON THE BEAT
side A: Greetings To Your Majesties / No Money No Bus / Nyame Nne Wiadze! A / Afi Hei / Otanfo
side B: Queen’s Welcome / Daadi Kyi / Kpo Nyeu! Lo! Oh / ●Renkyebo / Congo

WAL 1022、WAL 1032あたりは充実した演奏が多数聞かれますね。特に耳に残るのはエレキ・ギターの絡み付くような伴奏。これは聞きもの。
今回のレトロアフリックの復刻はこの一番充実した時期があまり収録されていません。是非アンソロジー第2弾を希望したいところですね!

◎WAL 1013 E. T. MENSAH AND THE TEMPOS : A SATURDAY NIGHT
side A: Afi Hei / Daadi Kyi / ●Nimpa Hawie / Nyame Aye Bi Amahen / Akols Manuma Dibi
side B: Kana Minka / Soro Ahiman / Kasapa / Yaa Amponsa / Gyaesu
◎WAL 1022 E. T. MENSAH AND THE TEMPOS : TEMPOS MELODIES (1962)
Side A : Me Da Wo Ase / ●Ghana, Guinea, Mali / ●Gbaami Anokwale / ●Onipa / Keyere Mon
Side B : Nigeria Freedom / Odo Pa / Weeya-Weya / ●San Bra / Play Samba Merengue
◎WAL 1032 E. T. MENSAH AND THE TEMPOS : KING OF THE HIGHLIFES (1963)
Side A : Me Dofo Bra / Yaatao Ono / Eyimi Eyimi / Meeye Ayera / ●Odo Anigyina
Side B : ●Abele / Adwe Okusi / Oba Fefeefe / Nmene Ole Mi / Ma Were Kye-Kye

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 9

前回に続き今回はLPのご紹介。デッカからは、まず下記の3枚の編集盤にメンサーの曲が収録され発売されました。62〜63年の発売です。
*前回と同じく●マークはレトロアフリック盤収録。

◆Decca LP Records
◎WAP 20 STARS OF WEST AFRICA : HIGH LIFE HITS!
side A: Amma Mere Wu / Sore Be Tie’m – Black Beats Band / Me Da Wo Ase / ●Gbaa Anokwale – E.T.Mensah & his Tempos Band / Obi Nkabi Mma’m – Stargazers Dance Band / Gbamigoro – Charles Iwegbue & his Archibogs / Ogbuefi Nnamdi Azikiwe – E.C.Arinze & his Music
side B: ●Ghana-Guinea-Mali / ●Onipa – E.T.Mensah & his Tempos Band / Telephone Lobi / Nkome Nkomo – Black Beats Band / Ozo Emena – E.C.Arinze & his Music / River Jordan – Charles Iwegbue & his Archibogs / Obra Aye Me Pasaa – Stargazers Dance Band
◎WAP 21 STARS OF GHANA *1962
side A: Srotoi Ye Mli – Black Beats Band / Obi Nkabi Mmami – Stargazers Dance Band / Odo Ye Owu – Onyina’s Guitar Band / Gyae Su – Broadway Dance Band / Odo Misu Fre Wo – Akompi’s Guitar Band / Owo Ko Ni Fe – Black Beats Band / Me Da Ho Gyan – African Tones
side B: Wonma Menka – Black Beats Band / Odo Akoda Agyame – Onyina’s Guitar Band / Keyere Mon – E.T. Mensah & His Tempos Band / Black Bra – Akompi’s Guitar Band / Bu Duru Mana – Black Beats Band / KonKonsa Ni Be Bere – Onyina’s Guitar Band / Nkae – Broadway Dance Band
◎WAP 23 STARS OF WEST AFRICA : HIGH LIFE HITS! VOL,2*1963
side A: Omo Laso – Odus & his Morning Star Orchestra / Adiakalu Ubosi – E.C.Arinze & his Music / Kelegbe Megbe – J.O.Araba & his Afro Skiffle / Pariboto Riboto – Haruna Ishola & his Group / Omo Alaro / Aye We Kale – I.K.Dairo & his Blue Spots / ●Odo Anigyina – E.T.Mensah & his Tempos Ban
side B: ●Abele – E.T.Mensah & his Tempos Band / Emase Puro O / Brigitta – Melody Aces / Maye Menya Aye / Oda Nsuadze – Globemasters Dance Band / Womma Wonko / Wegya Saman – Ramblers Dance Band

上記のLPが発売された頃はまだシングル中心の時代で、60年代半ばまではアルバム単位での作品という概念は、あまりなかったかも知れません。
66年にはガーナ独立の父クワメ・ンクルマーが失脚。ガーナも少しづつ揺れ動く事になっていきます。この間メンサーはナイジェリアを始め西アフリカ各地、英国にもツアーを敢行。
そうして英国のデッカ・スタジオで録音されたのが69年の《MENSAH’S AFRICAN RHYTHMS 》です。これがメンサーの記念すべき初のオリジナルLPとなりました。
裏ジャケ解説によると ”Kaa No Wa” はアシャンティのアドワというトラディショナル・リズム、”Mee Bei Obaaba” はコロマシ・ビートを使用しているとあります。コロマシ、あるいはコロマシエはガ民族の伝統的な音楽で、アフロ・ロック・バンド、オシビサに同名の楽曲がありましたね。また”Daavi Loloto” はコンゴでカラカラとして知られるダンス曲のリズムを使用したとの事。
つまり本作はアルバム・タイトル通り多彩なアフリカン・リズムをメンサー流ハイライフで聞かすというコンセプト。
他にも時代を反映し ”Save Me” というソウル・ナンバーをカヴァーしています。これオリジナルはアレサ・フランクリンで、ハイライフ流アレンジがなかなかナイス。ラストの ”1914” はインストですが、歌詞はガーナの人なら誰でも知っている昔からの有名な曲なんだそうです。
このアルバム、いま聞いても楽しめる内容で、レトロアフリック盤CDにもここから多数収録されていますね。

◎WAPS 27 MENSAH’S AFRICAN RHYTHMS *1969
side A: ●Medzi Medzi / Abodzin / ●Daavi Loloto / Save Me / Bibiara Wone Bre / ●Mee Bei Obaaba
side B: ●205 / ●Kaa No Wa / ●Señorita /Gbee Bleo / ●Day By Day / ●1914

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 10

ハイライフは60年代も半ばを過ぎるとその人気に翳りが出てきます。時代はソウルやロックに移り代わり、そんな音楽の影響を受けたより小編成のバンドたちが活躍を始め、人気を競うようになりました。69年のアルバム《MENSAH’S AFRICAN RHYTHMS 》にソウル・ナンバーを入れたのも、そんな時代の反映と言えるかも知れません。
ちなみにロンドン滞在中にメンサーたちはレゲエの流行に触れ、演奏方法をジャマイカ人ミュージシャンから教わりガーナ帰国後にライヴで演奏。なかなかの人気だったそうです。従って初めてガーナでレゲエを演奏したのはテンポスだと、当時のヴォーカリストだったオビは言っています。
メンサーはハイライフの第一人者ですからまだまだ人気はありましたが、やはり流行りの音楽を取り入れつつバンド編成も縮小して行ったようです。72年には下記編集盤にメンサーは2曲が収録されました。

◎WAPS 45 HI LIFES YOU HAVE LOVED VOL.1 *1972
side A: Ma Aya Nwet – Shambrose / Sika Enibre – Stargazers Dance Band / Bebrebe Ye Musuo – Onyina’s Guitar Band / Oya Kae Me – Red Spots / Black Pra – Akompi’s Guitar Band / Masan Makwo – Stargazers Band / ●Ghana Freedom – E.T.Mensah & his Tempos Band / Vicky Nyem Afum – Zeal Onyiah
side B: Meda Ho Mawo – Black Beats / Mbra Nimfo Quist – Builders Brigade / Anokwa Edomi – Black Beats / Mac’s Special – Rhythm Aces / Akwankwa Hieni – Moderniers / ●Damfo Wo Eni Uwu – E.T.Mensah & his Tempos Band / Hanua – Broadway Dance Band

70年代に入ると既にハイライフは過去の音楽扱い。ガーナではエレキ・ギター・バンドによるソウルやロック感覚も取り入れた、いわゆるギター・バンド・ハイライフの時代となりますが、同時に経済的な後退も始まります。
そんな中、75年にメンサーは3枚のアルバムを発表。まだまだ健在ぶりを示していました。

◎WAP 283 E.T. MENSAH – E.T. MENSAH *1975
Side A: Me Dofo Bra / Eyimi Eyimi / Odo Anigyina / Abele / Madanfo Hiani / Nku
Side B: Menka Hwee / Baby Mondo / Owu A Mewu / Obi-Mpe Obie Pe / Tutugborui / Aboko
◎WAP 286 E.T. MENSAH AND HIS TEMPOS BAND *1975
Side A: Afi Hei / Daadi Kyi / Nimpa Hawie / Nyame Aye Bi Amahen / Akols Manuma Dibi / Bisa Side B: Kana Minka / Soro Ahiman / Kasapa / Yaa Amponsa / Gyaesu / Obrayerebo
◎WAP 304 E.T.MENSAH & THE TEMPOS BAND *1975
side A: Summo Ghoo Ke Moo Si / Dear Si Abotar / Ao! Dei! O / Menye Wo Bokor / De Ehuo / Felicite side B: Mikuu Misd Mibaa Don / Queen’s Visit / Medaho Mao / Agoogyi / Anokwa Edomi / Asem Ato Me

残念ながらWAP 283は未聴ですが、曲目にはかつてのナンバーが数曲あり、恐らく再録音だと思います。
WAP 286はやや小編成ですが、その分軽やかに弾むビート感覚があり、派手さはありませんがじっくり聞ける佳曲揃い。パームワイン・クラシックスの ”Yaa Amponsa” の再録では、ちゃんとパームワイン・スタイルのギター(エレキ)を聞かせてくれます。なかなかの充実作でしょうね。
WAP 304はやや散漫な楽曲があってちょっと残念な作品なんですが、それでもコンゴのルンバをパクったような ”Felicite” は、ギターやサックスがOKジャズみたいでビックリの名演。カリプソ調の ”Queen’s Visit” も聞かせますよ。

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 11

さらに77年になって録音されたのが 《Is Back Again》。プロデュースはファイサル・ヘルワニ。彼はレバノン系ガーナ人で70年代にはナポレオン・クラブを経営、バサバサ・サウンズ他多くのバンドをプロデュースし、一時フェラ・クティのマネージャーを務めていた事もあります。
内容はやはり往年のヒット曲の再録が中心。スタジオのせいかアレンジのせいか、ちょっとスッキリし過ぎた感じで往年の味わいはあまりありませんが、エレキ・ベースとリズム・ギターを使ってダンサブルなビートと充実したホーンズを聞かせてくれる佳作です。

◎DWAPS 2013 E.T.MENSAH IS BACK AGAIN *1977
side A: Bus Collector / Tatale / E.T. Nkebo Baaya / Yoo Naabu Emomi
side B: Sekondi Market / Dofo San Brafie / Dzoyi Lo / All For You

77年の《Is Back Again》から7年。ナイジェリア・ポリグラムからヴィクター・オライヤとの共演という形でアルバムが発売されました。
ヴィクター・オライヤはボビー・ベンソンと共にナイジェリアン・ハイライフを築いた大物ですが、ある意味メンサーの愛弟子の一人とも言えるかも知れません。
84年といえばぼくがナイジェリア、ガーナを訪れた年で、レゴスでたまたま訪れたパラダイソというクラブでは、数日前にメンサーのライヴがあったんだよと言われたのを覚えています。
当時ナイジェリアは石油産業で経済的な活気に満ちていましたし、レゴスはアクラより何倍も大きな大都会。ガーナは経済的な落ち込みの最中で、男性は国外へ出稼に出ていましたから、メンサーもナイジェリアで活動していたのでしょう。
パラダイソでライヴの話しを聞いた時は、まだメンサーが活動している事にビックリした覚えもあります。
で、このアルバム。オライヤのバンドにメンサーが客演したような内容なのですが、これがなかなかの充実作。メンサーの作品はガーナイアン・スタイルのハイライフですが、全体的にはナイジェリアン・スタイルでまとめられ、メンサーも味わいあるサックスを聞かせ、ダレる事はありません。
ゆったり、じっくりトロピカルなスタイルは流石ベテランだけが醸し出せる濃い味わいと言えばいいでしょうか。
これがメンサーのラスト・アルバムとなる訳ですが、最期にこのアルバムを残せたのは幸いだったと思いますね。

◎POLP 102 HIGHLIFE SOUVENIR VOL.1: HIGHLIFE GIANTS OF AFRICA E.T.MENSAH, DR.VICTOR OLAIYA *1984
side A: Trumpet Highlife / Anyanko Goro / Mr. Judge / Odofo Nuapa
side B: Omolanke / Essi Nana / Yabomisa No.2

以上でメンサーのアルバム紹介は終わりです。リイシュー関係は割愛しました。
メンサー、オライヤとくればフェラ・クティです。そう、そろそろフェラの初録音入のブツが届く頃ですね。こちらもかなり楽しみです。
次回はメンサー絡みで、ガイ・ウォーレンに触れてみようかな、と考えていますが、ん〜カメルーンもやらなくちゃ。

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 補足篇 1

前回まではE.T.メンサーのレコード紹介でしたが、これでメンサーについて終わりではありません。色々と思い出したり補足しておきたい事もありますし、メンサーのハイライフ誕生の背景なんかもまだまだ紹介不足ですね。
特にテンポス・バンドのハイライフ誕生に重要な貢献をしたガイ・ウォーレンの事は少し突っ込んでみなくちゃ、と思っています。
メンサーは52年にデッカに初録音して、53年から”Donkey Calypso” ”Tea Samba” ”All For You” ”St.Peter’s Calypso” などのヒットを飛ばし大活躍しました。
それ以前、メンサーは50年に在レゴスのガーナ人コミュニティに招かれてナイジェリアで公演を行い、ボビー・ベンソンのクラブでも演奏し、彼とも早くから交流を持っていたようです。メンサーの回想によれば、50年にレゴスで演奏した時、ナイジェリアの人々はハイライフでは踊らずにジュジュで楽しんでいたそうです。しかし初録音から間も無くナイジェリアでもハイライフの大ブームが湧き起こります。
例えばそれまでスウィングやダンス曲を演奏していたボビー・ベンソンは、メンサーの影響により作ったカリプソ調ハイライフ「タクシー・ドライヴァー」で初めての大ヒットを獲得。ベンソンは他にもカリプソ調の楽曲を多く吹き込んでいます。
さらにアフリカ各国の独立を主導したガーナを象徴するかのように、西アフリカ一帯を中心に大きな影響を残しました。またその音楽的な人気から50年代アメリカでもちょっとしたハイライフ・ブームが起きたほど。
ジャズ、ラテン、カリプソなどとガーナのパームワイン音楽や民俗的音楽をミックスして、ガーナ独立前後の時代を鮮やかに表現したE.T.メンサーとテンポスのハイライフは、アフリカで最も早く汎アフリカ的な性格も備えた現代的ポピュラー音楽を確立したといえる出来事でした。それは最初のアフリカン・ポップ・スターの誕生でもあったのです。
*ボビー・ベンソンのカリプソ調楽曲の一例。テンポスの演奏スタイルの影響が色濃い。

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祝復刻! E.T. Mensah All For You 補足篇 2

このように50年代アフリカで最も現代的なポップ音楽だったメンサーたちのハイライフは、どうやって誕生したんでしょうか。
ハイライフについては機会を改めて詳しくご紹介したいと考えていますが、簡単に言ってその名前ハイライフ(上流階級の暮らし)の通り、もともと英国植民地時代に黒人エリート達が白人達のダンス・パーティを模倣した所から始まります。
そんなダンス・パーティに正装して出かけ高い入場料を払うなんて一般庶民には不可能です。会場の外に漏れ聞こえるサウンドに「あの音楽は何だ?」と尋ねられて答えたのが「あれは上流階級のものさ=ハイライフ」というのが語源とも言われます。
まあ、真偽のほどは分かりませんが、ハイライフのスタート地点がそこにあったのは間違いなさそうです。
30年代まではヨーロッパのダンス音楽が中心だったようですが、第二次大戦中には欧米音楽の流入も強まりジャズやラテン音楽、さらにアフリカ的感覚や庶民的音楽の要素も加え始め、ハイライフはより大衆化、ポピュラー音楽としての姿を整え始めていたようです。
そんな戦後のハイライフを知る手がかりになる音源として注目されるのがゴールド・コースト・ポリス・バンドでしょう。彼らは47年に英国を訪れ、その時にHMVに録音を残しています。その内の1曲がジョナサン・ワード編集の《Opika Pende》で、2曲が《Delta Dandies》で聞けますね。HMVにレコードはまだあると思いますが判明しているのは以下の通り。他にデッカにもあるようです。
◆HMV
JZ 281 High Life / Amparita Roca – March
JZ 282 Poet and Peasant Overture Part.1 / Part2
JZ 283 Rockin’ In Rhythm / High Life-Dagomba
JZ 286 Elmina Blues / Burma Special
彼らは警察の音楽隊という事で47年に英国を訪れた時の記録フィルムをYou Tubeで見る事が出来ます。そこではセミ・クラシック調の演奏を披露していますが、それよりもレコードのほうが断然面白い!
ジャズ・ナンバーも演っていますがJZ 281の ”High Life” という曲は有名な ”Everybody Like Saturday Night” 他をメドレーで、さらにJZ 283の ”High Life-Dagomba” やJZ 286 ”Elmina Blues” は間違いなく原曲はパームワイン音楽。これをブラス・アンサンブルで演っていて非常に興味深い内容です。
彼らは警察の音楽隊なのでマーチやセミ・クラシックなんかも演奏してますが、ハイライフやパームワイン音楽をかなりレパートリーに取り入れています。47年当時のお堅いバンドでさえこうなのですから、よりポピュラーなハイライフ・バンドはジャズやラテンに加え大衆的なパームワイン音楽や民俗的音楽も多く演じていたのは間違いないでしょう。
実はメンサー以前のハイライフ・バンドの録音はほとんど無く、彼らの録音はその意味でも戦後すぐのハイライフを探る貴重な資料なのです。

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 補足篇 3

そんなゴールド・コースト・ポリス・バンドとテンポス達との違いはまず編成によるサウンドです。テンポスは小編成でよりスマート、シャープなスタイルですね。
とはいうもののテンポス自体も52年の初録音と50年代半ば以降ではサウンドが違います。特に50年代後半に近いほどコンパクトな編成でスッキリした演奏にシフトして行きます。
そんなサウンドの変遷を体感するためにも今回のレトロアフリックのCDはある程度録音順にして欲しかったし、オリジナルSPの表記とは違う曲名の誤字も幾つか目立ちます。ツメが甘いんだなー。
それはともかくゴールド・コースト・ポリス・バンドとテンポスの間にある差異、それこそがメンサー達を最初の汎アフリカン・ポップ・スターにしたものです。
そう、あと一息のサムシング・エルス、それをテンポスに持ち込んだのがガイ・ウォーレンなのです。
ガイ・ウォーレンは1923年生まれ。学生の頃から音楽に興味を持ち、アクラ・リズミック・オーケストラというバンドにドラマーとして参加します。アクラ・リズミック・オーケストラはE.T. メンサーと兄弟のイェブアーが結成したバンド。
ウォーレンが14歳だったそうですから37年の事で、メンサーもまだ18歳という若さ。彼らはその活動の初期から顔馴染みだった訳です。
さらにウォーレンは47年にテンポス・バンドに参加します。この時のテンポス・バンドはジョー・ケリーがリーダーでした。しかし彼はバンドのお金を浪費するので、リーダーは持ち回り制と決められました。
で、最初はウォーレンがリーダーでしたが間もなく英国に行く事になり、メンサーに順番が来て48年にリーダーとなり、改めてバンドを再結成。ここからテンポスの成功物語が始まるという訳でした。
因みにジョー・ケリーは才能あるサックス奏者で、彼とメンサーは、やはり昔からの顔馴染み。40年にガーナにやって来たジャック・レオパードというスコティッシュの軍人が結成した《Leopard and His Black and White Spots》(44年解散)という黒人白人の混成バンドに共に在籍していたんです。
48年にメンサーがリーダーとなり再結成されたテンポスには、ケリーも英国から戻ったウォーレンも在籍していました。
しかしケリーはテンポス初録音前にはバンドを離れたようで、テンポスのトロンボーン奏者だったトミー・グリップマンが結成したレッド・スポッツに参加、その後自己のバンドを組んで活躍しました。
レッド・スポッツはデッカに数多く録音がありますが、ジョー・ケリー名義の録音は何故かほとんどありません。彼の録音は以前ご紹介したココアの宣伝用SP盤1枚が手元にあります。
こちらはレーベルがガーナ政府となっているので独立後、さらにプレスはフィリップスなので60年代初頭の録音と思われます。なかなか充実した内容なのでジョー・ケリーはもっと聞いてみたいと思っているんですが。
さてちょうど時間となりました。ガイ・ウォーレンがテンポスに持ち込んだ成功の秘訣、サムシング・エルスについては、次回投稿で。

Joe Kelly & His Band
◆Ghana Government
SW 100 Cocoa Highlife No.3 / No.4

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 補足篇 4

ところで書き忘れていた事のひとつですが、メンサーの初期のヒット曲 ”All For You” の原曲は、以前リベリア(ライベリア)の所で触れたグリーンウッド・シンガーズが歌っていましたね。
メンサーはパームワイン音楽のスタンダード ”Yaa Amponsah” もカヴァーしていますが、帰還者系音楽もしっかり取り入れていたんです。

★祝復刻! E.T. Mensah All For You 〈ガイ・ウォーレンの秘密篇〉 1

さて前回の続きで、いよいよ本題です。早速ガイ・ウォーレンの話を進めていきましょう。
48年メンサーがテンポスのリーダーになった前後の事、ある日ウォーレンがクラブの演奏の休憩中に白人と大喧嘩を起こしてしまいました。
「オヤオヤ〜、こんな所でアメリカのニガーが何やってんだ!」と言われ体を押されたのです。ウォーレンは黙っている訳にいきません。
ガーナ独立の動きが本格化する前ですが人々はもうかなり以前から英国植民地政府への不満を募らせ、ウォーレンもまた差別的な白人に対しては毅然とした態度を貫く主義だったからです。
一方的な言いがかりにウォーレンは怯まず、当然ながら大喧嘩。腕に覚えがあったのか、おととい来やがれ!とばかりウォーレンは白人を叩き出したといいます。なかなかやるじゃん。
しかし、当然ながらこれはなかりの問題に発展。バンドはクラブへの出演禁止に、ウォーレンも結果的に仲間に迷惑を掛けてしまいました。
しかし、ちょうどこの時クワメ・ンクルマーによる会議人民党(CPP / Convention Peoples Party)が結成され、ガーナ独立に向け白人による様々な抑圧に対して抗議運動が始まっていました。
ウォーレンは彼らの機関紙の編集に関わっており、この件にもCPPが対応してくれ交渉の結果喧嘩相手の白人の非を認めさせ送還させる事に。また後に植民地政府に対する暴動が起きてテンポスを締め出したクラブは打ち壊されてしまったとか。もちろんテンポスは他のクラブへ出演する事になりましたが。
ウォーレンの事件はたまたまでしたが、この時期からガーナ独立への運動は本格化していったのでした。一段落したウォーレンは再び英国へ向かいます。CPPの結成が49年6月なので、彼の渡英は49年末頃の事だと思われます。
この時期の英国は戦後の復興期で労働力確保の為に移民法を改正、カリブやアフリカの英国植民地から多くの労働者が来ていました。そんな当時の英国で、最先端の黒人音楽といえばトリニダードのカリプソです。
本場トリニダードのカリプソは30年代、既にその音楽を確立。豊かな表現と独自の美学を完成させていました。戦後はストリングス・アンサンブルからブラス中心の小編成へと移り変わって行く時期で、特に英国では都会的でシャープなサウンドが確立され、メロディスクを中心としたレーベルに名曲名演が多数録音されています。
英国には大ベテランのザ・ライオン、ロード・ビギナーを始め売り出し中のロード・キチナー、その弟分のマイティ・テラーが来て大活躍。ピカデリー周辺のクラブは連日連夜カリプソで大盛況だったと伝わります。特にロード・キチナーは大変な人気でトリニダードの人々だけでなく、ジャマイカ、アフリカ系や白人にもファンを広げていたようです。
これら50年代の英国カリプソの録音の一部は、英オネスト・ジョンズがアフリカ系音源も交えて《London Is The Place For Me》のシリーズで復刻したので皆さんもうご存知ですよね!
そう、ウォーレンが英国にやって来たのは正にこうしたシーンが形成され始めた一番ホットな時期だったのです。

*キチナーのメロディスク盤。”Africa My Home” ”Nigerian Registration”

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 〈ガイ・ウォーレンの秘密篇〉 2

さて、ロンドンに落ち着いたウォーレンはカリプソの盛り上がりに刺激を受けながら、ケニー・グラアムのアフロ・キュービスツというバンドに参加します。
ケニー・グラアムは1924年ロンドン生まれの白人ジャズ・サックス奏者で英国ジャズの世界では良く知られた存在。戦中から戦後にかけて多くのバンドで修業を積み、自己のグループであるアフロ・キュービスツを50年4月に結成しました。
グループ名通りバンドはチャーリー・パーカーやマチートたちが推し進めていたキューバップ〜アフロ・キューバンに倣ったスタイルながら、英国流のコンパクトでシャープなサウンドが特徴です。
また、グラアムは早くからカリブやアフリカ系ミュージシャンと交流を重ね、リズム・セクションのメンバーとして重用。そんなアフリカ系メンバーにはウォーレンの他ナイジェリアのビリー・オル・ショランケ、ジンジャー・ジョンソン(後にストーンズのハイドパーク・コンサートに出演。67年のアルバムが以前話題になったアノ人です)が在籍。こうしてケニー・グラアムのアフロ・キュービスツはカリプソと並んでロンドンの夜を妖しく彩っていくのでした。
ウォーレンはアフロ・キュービスツに参加する傍らBBCのラジオDJも務め、自身の番組でそんなヒップなカリプソ、アフロ、ラテンなどを掛けまくっていたそうです。ん〜聞いてみたかった!
当然ながら互いに刺激し合い交流が始まり、ロンドンの夜のブラック・ミュージック・シーンはますます混沌と、そして白熱して行きます。
そんなカリブとアフリカとの交流の一例として、ロード・キチナーがアフリカを題材にした曲を挙げておきましょうか。カッコ内は録音年。

●Africa My Home (52年)
●African Girl (54年)
●Mamie Water (55年)
●Nigerian Registration (55年)
●Birth Of Ghana (56年)

このほかキチナーには West African Rythm Brothers (アンブローズ・キャンベル!) の伴奏で録音した ”Black Puddin” ”Picadilly Folk” などの曲もありますよ。
また、ケニー・グラアムにはフランク・ホルダーというカリプソ歌手の伴奏を演ったレコードもありますが、大物のロード・ビギナーと51年に6曲ほど録音がある事も判明しています(これはかなりのレア盤)。
そう、まさに当時のロンドンはカリブ〜アフリカ〜UKのヒップなミュージシャンが腕を競い、交流を重ね、真に音楽的なフュージョンが行われたスリリングなホット・スポットだった訳なんです!

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 〈ガイ・ウォーレンの秘密篇〉3

ケニー・グラアムを一曲聞いてみましょうか。この曲、DJに人気が高いんですが、カリプソとアフロとラテンとビバップが混じった当時の雰囲気が良く出た面白いナンバーで、ぼくも大好き!まさにこの時期のロンドンでなければ誕生しなかったと思います。 インスト・ヴァージョンもあって、そちらもカッコいいすよ。

★祝復刻! E.T. Mensah All For You 〈ガイ・ウォーレンの秘密篇〉4

こうしてカリブ、アフロ、UKの言わばメルティング・ポット・サウンド(ワタクシの勝手な造語ですが)をたっぷりと体感・吸収したウォーレンは9ヶ月後にガーナに戻り、そのスリリングな状況をガーナに伝える事に。それは1950年半ば過ぎと思われます。
それこそが従来のハイライフと一線を画したテンポスのハイライフの誕生の秘密、成功の原点でした。
メンサーたちは早速ウォーレンのアイディアでラテン的リズムと英国カリプソのシャープでスマートなサウンドを目指し、カリプソ的な作詞の手法も取り入れ、従来のダンス〜スウィング・スタイルを大胆に整理。
パームワイン音楽や帰還者系音楽、民俗的な素材にもそんな都会的洗練を加味して、メンサーたちの新しいハイライフが少しづつ完成に近づいて行きます。
今回のレトロアフリック盤を聞いて個人的には53年以降にそれが結実し始めたと感じますが、やっばり録音順ではないし、録音年のデータが付いてないから分かり辛いんだよねーと、またボヤキ。
まあ、それはさておきロンドンで生まれたメルティング・ポット・サウンドの遺伝子がメンサーたちに受け継がれたからこそ、彼らはアフリカ最初のポップ・スターになる事が出来たんだと思います。
ポピュラー音楽の本質である混血化とアイデンティティーの確立、メンサーとテンポスのハイライフは見事な成功例とも言えそうです。
もちろんメンサー単体でも充分に楽しめますけど、こうした繋がりが見えて来ると一層面白いんじゃないか、とジジイは思っちゃうんですな。

*アメリカで活躍を始めたウォーレン。レスター・ヤングと。

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★祝復刻! E.T. Mensah All For You 〈ガイ・ウォーレンの秘密篇〉5

さて、その後のウォーレンの活動にも簡単に触れておきましょう。
メンサーたちのハイライフが完成しつつあった55年、彼はアメリカに向かいます。以前からジャズ的な志向を覗かせていた彼はアフリカン・ドラムを売り物にシーンに登場。デッカ、RCAからアルバムを発表しました。

◆Decca
DL 8446 Africa Speaks, America Answers
DL 4243 African Rhythms
◆RCA
LPM 1864 African Drums

正直言ってこの3枚、いま聞いて面白いかは微妙。ややキワモノの感じは拭えませんが、一般のアメリカ人にはエキゾな演出が必要だったのでしょうね。後年に《Africa Speaks, America Answers》から ”Eyi Wala Dong”という曲をドイツのムードミュージックの音楽家ベルト・ケンプフェルトが ”That Happy Feeling” のタイトルでカヴァーしヒットさせたりしてます。
60年代には英コロンビアからアルバムを発表。もうキワモノ的な部分は無く、ジャズ的なアプローチとメッセージも伝わって来ます。

◆Columbia
SX 1584 Emergent Drums(1964)
SCX 6340 Afro Jazz (1969)

しかし個人的に彼のアルバムのベストは72年の《African Soundz》だと思いますね。

◆Regal Zonophone
SLRZ 1031 African Soundz

ジャズというよりファンク的なリズム・ギターとウォーレンのパーカッションが一体となり押し寄せるサウンドは実にカッコいいす。
ジョー・ハリオットなんかとも演っているアマンシオ・ダシルヴァも参加してるんですが、このアルバムをデニス・プレストンに捧げると書かれている事に注目!
デニス・プレストンは元々ジャズの批評家兼DJで、英国カリプソの仕掛人なんです。早くからカリプソに興味を抱いた彼は、英国に多くのカリプソ二アンがやって来ているのを知りメロディスクに録音を進言。自らスーパーヴァイザーとして活躍しました。
ケニー・グラアムのレコード《Carribean Suite》にナレイションとしてプレストンの名前もクレディットされていますが、彼はこの時代を裏から支えた重要人物。覚えておいて下さいよ。
この少し前にウォーレンはジンジャー・ベイカーと録音もしています。”Blood Brothers ’69” というその曲はベイカーの《Stratavarious》に収録。このアルバムにはご存知フェラ・クティとの録音も収められています。
フェラにしてみればガイ・ウォーレンは大先輩。ウォーレンの録音にフェラはいなかったようですが、奇しくも同じアルバムに収録されたという訳です。
間も無く届くと思いますが、フェラの初レコードを収録したサウンドウェイのCD《Highlife On The Move》には、ロンドンで行われたカリブとアフリカのメルティング・ポット・サウンドと、その遺伝子を受け継いだ音楽がたっぷり詰まっています。
フェラはそんな遺伝子を受け継いだ最後の世代ですが、ベイカーの《Stratavarious》にウォーレンとフェラが同居しているなんて、ぼくには偶然と思えないんです。

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