いや〜、何て自由闊達でいて完成度の高い音楽 / ギターバンド&パーカッション&ヴォーカル・ミュージックなんでしょうね、ホント。
当方としても当時は、ポツンポツンとしか聴いていなかったオベイなので、これは初めて聴くような気がする1986年のオベイ”サティスファクション”(オリジナルLPジャケは見知っているので、当時国内にも入荷していたんでしょうね)、これがまたジュジュの鏡のようなアルバム。この気持良さ、ギミック無しのオーソドックス?な成熟JUJUの気持良さ、は一体何なんだろう?と、しばし改めて考えてしまいました。
基本、ハイライフ的なフレイズの繰り返しが表立っていますけど、そこに絡むツイン・ギタープレイの奔放さはディッキー・べッツ&D.オールマンを凌駕してるような気がしますし(比較の対照ミスってるかもですが)、ボトムで複雑に刻まれながらシンプルかつナチュラルなノリを醸し出すパーカッション・アンサンブルは、キューバン・ルンバとか、ティト・プエンテ楽団なんかもなかなか到達できないようなポリリズミックなウネリを、日常茶飯事、たいしたことない、という感じで生み出している、よーな気もします(今、気がついたんですが、キューバ系ラテン打楽器アンサンブルの中、唯一西洋打楽器からチョイスされているティンバレス〜exティンパニーは、そうか、トーキングドラム類の代用の役割もあったんだなあ、と…)。
しかもジャム・バンド先取り感も半端でなく、決してジャズ的な個のインプロに陥らずして、間歇的にフリーフォームと言ってもいいような融通性をキープしたアンサンブル / アレンジの中で、ノリは違えど、北米ブラックのゴスペルに勝るとも劣らないコーラスによる歌を聞かせているわけで、いったいジュジュって何?と、改めて考えさせられてしまう演奏がここに。
当初JBスタイルのFUNKビーツを借りて、ナイジェリアはヨルバの音楽性を、堰を切った放流のように展開したフェラのアフロビートも確かに凄いんですが、前世紀30年代頃から、賛美歌の影響やパームワインギターの演奏を軸に、ジュジュと呼ばれるタンバリンを叩くことによってスタートした、ポピュラー音楽としてのジュジュが、半世紀を得て到達したこのオベイや、そしてアデのような境地のドメスティック感(北米ブラックの影響は隠し味程度?)、その肩肘張らないヨルバ的伝統の発露は、満々と湛えた水を悠々と流すダムや堰のない河川のように、まったくもって見事ですな(って、何言ってるんだかわかんなくなってしまいました…酔って仕事するな!と)。