プムプアン・ドゥアンチャンを見出し、自身の楽団に招いて帯同、自ら作曲した歌曲を与え、その歌手デビューをバックアップしたワイポット・ペットスパンが、プムプアン早逝の後、彼女の誕生から歌い手としての達成、その死に至る晩年を歌った1992年作。ワイポットお得意の、仏教の説法を泣きのある節回しに乗せて行く歌唱スタイル、“レー” (霊、ではない)の名調子おいて、プンプアンの生涯のエポックを歌い綴った作、ということになるでしょう。
が、本作をして、その常とは異なる、どこか慟哭寸前と聞こえる?ワイポットのエモーショナルな節まわしの反復が描くものは、生滅変化、諸行無情の理から外れ、ディープこの上ないノーザン・タイ版スロー説経節バラード?のプロトタイプを生み出す気配さえ感じさせるもの…?
なんというレー、なんという寂寞、寂寥でしょうか?
東映時代劇風の重く単調なエレキベースの反復をバックに、タイ擦弦ソーのスリリングなインプロ風弓奏プレイを従えつつ、間歇的に奏でられるアコーディオンの早弾きに促されもして、ワイポットの少しばかりエコーがかった嗄れヴォイスの反復絶唱が、深い洞穴の底から湧き出すような、未知の歌謡空間を垣間見せてくれたのでした。
そんな具合に、可愛らしいプムプアンの笑顔も、いかにも悠揚、泰然としたワイポットの笑顔も、個人的曲解の中で霧散して行く、ような、ドープなアルバムとして本作に出遭ってしまった自分ですが、タイの仏教歌謡レー、まだ、ちょっと、なんだか、よくわからないということはあるんですが…。