いま、鳴り響き鳴り渡るモノガタリルネサンスの鼓動。
浪曲の物語性を音頭の呂律で激しく揺さぶり、賦活して交響する劇性と激情が織りなす熱と力と生命のドラマ。
語り芸と音曲を繫ぎ架橋する日乃出家小源丸の力業。
浪曲河内音頭の一到達点、語り芸の真髄がここにある。
「百派千人といわれ、多くの人気の音頭取りを輩出した戦後の河内音頭界、その離合集散や変遷の歴史の真っ只中にあって、七十年の音頭歴を刻んできたのが、日乃出家小源丸さんだ。若い日のエネルギッシュな熱演から、つい最近の円熟の一段迄、ここに集められた十三段の音頭が日々に工夫を凝らし改良を重ねてきた小源丸さんの苦闘の歴史を余すことなく物語っている。
多彩な節使いやリズムについては、斯界の専門家に論を譲るとして、ここで注目するのは、剣豪武将伝から、粋な気っ風の任俠もの、明朗快活なケレンものと幅広いジャンルにまたがった演目についてである。どんな芸能でもその語り手は得意とするジャンルがある。それが芸風となってその人の芸に個性を与える。それをこれほど多岐にわたって、音頭という節とリズムの制約の中で、多彩に語り分けたことは、まさに小源丸さんの真骨頂といえよう。」(芦川淳平 ライナーノートより)
「日乃出家小源丸師の浪曲音頭の至芸は「舞台」と「櫓」、「語り」と「音曲」、「洗練」と「野性」に架橋する。浪花節の物語性を音頭の呂律で劇しく揺さぶり、賦活して交響させるのである。物語の劇性と激情が励起する「舞台」と「櫓」の往復運動。そのなかに「語り芸」の往くべき道がくっきりと浮かび上がるだろう。日乃出家小源丸師はきっと、本作を「物語再生」の嚆矢として、音頭の側から浪花節(引いては語りもの全体)への恩返しを見事に果たしてくれるにちがいない。(中略)録音時期は大体、九九〇年代から二〇〇〇年代初頭、三音家小浅丸師の私家録音による。データが存在しないのは発表を前提としなかったことと、録音場所が櫓(盆踊り会場)だったことが大きな要因だ。」(神谷一義 アフターノーツより)
陳謝&感謝!>https://bunboni.livedoor.blog/2019-09-30
解説 朝倉喬司
芦川淳平
監修 三音家小浅丸
▽参考 1995 8.30 錦糸町 by オヤジレコード!