V.A. / ニッポンジャズ水滸伝 地之巻

ok-4_jacket_72>天之巻に続いて地之巻登場!
ジャズ。いま、この陋巷の淫楽を聴け。時刻は大正期。大阪の巷にジャズの歌声は沸き起こる。道頓堀の川面に映る赤い灯、青い灯に照らされながら、河合ダンス團・赤玉ジャズバンド・松竹和洋合奏團・・・、ジャズは旅する。やがて東京、巴里ムーランルージュ。時代を跋扈したジャズエイジ達の跫音が鮮やかに甦る。

■監修:瀬川昌久
■DISC-1 千日前風景 SKETCHES OF SENNICHIMAE
■DISC-2 道頓堀ジャズの誕生 BIRTH OF TONBORY JAZZ
■DISC-3 ジャズ的 JAZZ DIASPORA
■DISC-4 巴里ムーランルージュ TOKYO-PARIS

■ブックレット内容:
・ニッポンジャズ水滸伝第2集「地之巻」構成の趣旨について(瀬川昌久)
・河合ダンスについて(芝田江梨)
・「道頓堀ジャズ」考「大大阪」時代の大阪(古川武志)
・踊る大道頓堀─DOUTONBORI─“道頓堀ジャズ” 街のヴィジュアルを追体験する(橋爪節也)
・フロリダと戦前のダンスホール、大阪松竹座について(吉河悟史)
・ニッポンジャズ水滸伝“地之巻”を聴いて(関島岳郎)
・座談会(西岡信雄、橋爪節也、林幸治郎、古川武志)
・鼎談(瀬川昌久、北中正和、大谷熊生)

「地之巻 構成の趣旨について」瀬川昌久
ニッポンジャズ水滸伝の第2集「地之巻」は、1)千日前風景 2)道頓堀ジャズの誕生 3)ジャズ的 4)巴里ムーランルージュの4主題で構成した。中心的構想は、ジャズという西欧的大衆音楽が始めて日本に輸入されて発展したのは、あっこ大正年代の関西、特に大阪の千日前~道頓堀地区である、という史実に基づきその具体的な事象を多様な音楽形体で実証しようというものである。大正10年代に、ダンス音楽を通じてダンスを踊るカフェやダンスホールが林立し、宝塚や松竹のレビューが勃興して、ジャズを歌いダンスを踊る風潮が新らしい社会現象となった。そのモダン文化は和風の伝統だった芸妓の世界にまで浸透し、お座敷でも芸妓は、ジャズを歌い、ダンスを客と踊るようになる。その結果、幼い芸妓が大衆音楽を演奏し、洋風に踊る「河合ダンス団」が誕生し、その芸は大人も顔負けする程に上達した。10才代の少女がプロのジャズマンの指導により、シロホンやサックスを演奏するレコードがとぶように売れて、河合ダンス団は、毎年上京して東京の帝国劇場で一週間の公演を打つ程になった。今回のアルバムは河合ダンス団の貴重なレコード演奏10曲から始めて、従来書物でのみ紹介されたダンス団の輝かしい足跡を、音楽を通じて確認して頂くことにした。幸い河合ダンス団について、該博な研究家である芝田江梨氏の詳細な論文と貴重な写真を頂戴出来たことを深謝したい。

この時期は、他にも多くの乙女ダンス団が出現し、又芸者がダンサーとなる例もあった。チンドン屋音楽にもモダンなサウンドが採用され、漫才役者もジャズをネタにする。その間道頓堀松竹座が大正12年から大阪松竹少女歌劇の定期的レビュー公演を実施し、オペレッタやバレエ、ヴォードビルの公演を続け、大正15年には早くも「ジャズダンス」のタイトルで公演し、「春のおどり」にジャズソングを発表した。更に昭和3年1月20日から、岡田嘉子・竹内良一一座を専属劇団第1号に据え、音楽劇「道頓堀行進曲」を上演したところ、日比繁治朗詞、塩尻精八曲の主題歌「道頓堀行進曲」が大ヒットとなって、早速ニットーレコードが同年3月筑波久子(本名井上起久子)の唄で発売した。この曲はジャズ風な演奏に適していたので、忽ちあらゆるレコード会社が歌詞を替えたりして吹込み、数拾種類以上のダンス音楽やボーカルが発売された。直ぐに映画化もされ、映画説明レコードも出た。その温床となった大阪松竹座は引き続きレヴューやショウの上演のため、専属の管絃楽団やジャズバンドに一流奏者を集めて多数のレコードを発売して道頓堀ジャズの中心的存在となった。

アルバム第2集には、松竹座管絃楽団とジャズバンドのレコードを13曲集め、斯道の権威である橋爪節也氏と古川武志氏御両士にうんちくを傾けて頂いた。古川氏には全4集に亘る音源レコードを御提供頂いたことも併せ厚く感謝したい。

特に貴重な音源として注目してほしいのはDISC-2の末尾26、27収録の2曲で、ジャズソング大作曲家服部良一がイヅモヤ(出雲屋)音楽隊に入隊の少年時代中と、上京してニットーレコード専属作曲家となった昭和10年に録音した何れも極めて斬新意欲的な管絃楽曲である。 26「夜半の警鐘」(ヒコーキH7194)は「イヅモヤ音楽隊」演奏とあるだけだが恐らく服部少年が参加していると思われる。服部良一は明治40年10月1日大阪に生まれ、大正12年9月出雲屋少年隊に入隊して始めオーボエ奏者で、やがてサキソホン奏者となりサックスのグループのリーダーになった。14年5月大阪プリンセス・バンドと改称後もしばらく在団した。

このバンドは130名近くのブラスバンド編成だが、特にサキソホンが多く、サックス10本(ソプラノ3本、テナー3本、アルト2本、バリトンとバス・サックス各1本)を生かしたサウンドが特色だった。服部は橘宋一楽長の下、我流で「かっぽれ」「安来節」などを編曲し、自作のフォックス・トロット「よいどれ」を作曲した。外国ものは当時流行した「ダンス・オリエンタル」「キャラバン」「バンプ」「チャング」「ケーキウォーク」「オーバーゼア」「ダブリンベイ」などサロン音楽をトロット・リズムで演奏する曲が多かった。

第3集は、道頓堀ジャズから始まったジャズの全国的展開の足跡をたどることにして、昭和年代に名古屋のセンターレコードが製作した欧米のジャズ・ラテン・タンゴのヒット曲を始め、各マイナー・レーベルの意欲的なジャズ的演奏を収録した。加えて、ニットー・レコードが昭和2年に特殊開発した長時間SPレコードの中に、唯1枚ダンスミュージックとして録音されたユニオン・チェリーランド・ダンス・オーケストラの演奏を全5曲収録した。この長時間レコードは当時アダプターが必要のため、数年にして発売が停止された貴重な音源であり、回転速度の変化するSP原盤を調整リマスターの労をとられた大西秀紀氏の御厚意に深謝したい。

第4集は兼ねて再録要望の強かった昭和7-8年駐在した巴里ムーラン・ルージュ・タンゴ・バンドの演奏を特集して全22曲を収録した。東京溜池のフロリダ・ダンスホールがフランスから招へいした4人のバンドで、当時レコード各社に和洋の流行歌を多数吹き込んでおり、バラエティに富んだ選曲によって、昭和中期のダンスホールの音楽を偲ぶ好材料になるよう構成した。アルバムの最後に当るので、くつろいできいて頂ければ幸いである。

(以上、メーカーインフォより)

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