GIOTA LYDIA ‎ / SIMERON

この、ギリシャ語で “Today” と題された60年代シングル・コレクションLPシリーズがリリースされたのは1971年のこと、ヨータ・リディアはじめ、EMI系列の60年代スターたちの録音が手軽に(?)好選曲で楽しめるということで、当店では、人気シリーズとなっています(って、6アイテムぐらいしか出ていませんが、LPアルバムが未だあまりリリースされず、シングルが中心だった60年代ギリシャ歌謡の活況を、当時の代表的歌手の音源で楽しめるシリーズ、ということで…)。
このヨータ・リディア、(本名パナヨータ・マダラーキ)は 1934年アテネ郊外ネア・イオニア地区生まれ(トルコからの帰還者が多く住んだ地域で、スミルナが位置したトルコのイオニア地方にちなんでつけられた地名〜ニュー・イオニアの意)、なので、両親はトルコからの帰還者でした。
14歳で結婚、15歳で子供を授かりましたが、夫は7つ年上で、同じ町内に住まうストラトス・アッタリディス、1950−70年初頭に300もの曲を作った作曲家でした。
1954年に初のシングル2曲の吹込みにおいて夫の曲を歌うと(50年代半ばは未だシェラック〜78rpmがギリシャでは主流、50年代末頃から45rpm)、彼女の歌声は大きな反響を呼びます。
はじめから、スミルネイカ(スミルナ由来の歌)でもチフテテリ(ロマ由来のダンス・リズム)でも、ゼイベキコ(9拍子のダンス)もアマネーデス(トルコ由来の無拍子即興歌)も、ニシオーティカ(島唄)もディモーティカ(本土民謡)も、あるいは流行のPOPソングでも、何でも歌える歌い手だった彼女でしたが、ツィツァーニスやパパイオアーヌはじめ、ヨルゴス・ミツァキス、ヨルゴス・ラフカス、マノリス・ヒオティス、バビス・バカリス等々、多くの作曲家が彼女に曲提供を申し出るという異例の事態もあって、一躍人気女性歌手としてギリシャ全国区で認知されるようになります。
60年代に入ると、アテネのナイトクラブでは、カザンジディス&マリネッラと入れ替わりに歌って人気を競い、ポピュラー系歌手として当時の最終目標みたいに扱われていたミキス・セオドラキスのショーにも呆気なく招かれるし、リリースするシングルはことごとくヒット、当時(60年代)人気ナンバー1だったストラトス・ディオニシウの売上を追い越す勢いだったそうです。そんな人気絶頂期のヒット曲を集めたのが本盤となります(で、現地での人気が半端ではなく、オリジナル・アルバムの復刻CDは、中古盤でも、なかなか高くて当店的には手が出ないことご了承下さい…)。
そんなワケで、今日に至っても、”ギリシャで最高の女性歌手” ともされるヨータ・リディア(ハリス・アレクシウはどうなる?)、店頭でいつも売り切れになっていましたが(経年旧譜につきなかなか入荷せず)、やっとご紹介することができました。

60’s Single collection LP released 1971

1 Γιατί Θες Να Φύγης
2 Ναχα Εκατό Καρδιές
3 Σαν Ζητιάνο Σε Κυττώ
4 Ο Ταυρομάχος Ξεψυχά
5 Σε Ποιον Να Πω Τον Πόνο Μου
6 Μια Μελαχροινή
7 Γύρνα Πάλι Γύρνα
8 Αχ Ας Μπορούσα
9 Μου Πέταξες Την Βέρρα
10 Πες Μου Γιατί
11 Συ Μου Χάραξες Πορεία
12 Όσα Λουλούδια Μάδησα