GILI YALO

イスラエル発エチオピア・ルーツ・ミュージックの新星、
“GILI YALO(ギリ・ヤロ)”デビュー・アルバム【日本盤】が登場!

エチオピア系イスラエル人のギリ・ヤロは自身のバックグラウンドから、自分のルーツや、自分がどこからやってきたかを忘れない、というメッセージを世界中に発信したいという強い願いからアルバムの曲を書き始め、バルカン・ビート・ボックス、バターリング・トリオのベン・ヘンドレルや、今作のプロデューサー、ブーム・パムのウリ・ブラウネル・キンロトの協力のもと、多才なミュージシャンが集められこのソロ活動が始まりました。
このアルバムで、ギリ・ヤロは自身が影響を受けたジェームス・ブラウンやエチオピア・ミュージックのレジェント、ムラトゥ・アスタッケをリスペクトしながら、ファンクやソウル、サイケデリック、ジャズを、伝統的なエチオピア・ミュージックに今の視点で見事にブレンドさせています。エチオピア・ミュージックに新たな息吹を吹き込んだ、色とリズムの豊かなパッチワークでできたアフリカそのもののようなサウンドを体感ください!〜メーカーインフォより

▽ライナーノーツ(石田昌隆)より抜粋

ギリ・ヤロは、エチオピア北部の古都ゴンダール郊外の村で生まれた。黒人のユダヤ教徒、ベタ・イスラエル(ファラシャ)であり、今はれっきとしたイスラエル人である。
エチオピアのベタ・イスラエルの話は、紀元前10世紀ごろまで遡る。イスラエル王国のソロモン王と、古代エチオピア、アクスム王朝を収めていたシバの女王が出会って恋に落ち、子供が生まれたと旧約聖書に書いてある(シバの女王が治めていたのはエチオピアではなくイエメンだったという説もある)。その末裔がベタ・イスラエルと呼ばれる黒人のユダヤ教徒となり、エチオピアの地で3000年に渡って累々と生き延びていたとされているのだ。
イスラエルでは、1970年に改正された帰還法によって、ユダヤ人とは「ユダヤ教徒もしくはユダヤ人の母親から生まれたもの」と定義されている。そしてユダヤ人は、イスラエルに居住でき、市民権を得ることができる。
1984年、イスラエルは帰還法に基づいてモーゼ作戦を実施して、多くのベタ・イスラエルをイスラエルに移住させた。1984年はエチオピア大飢饉が起こった年で、当時4歳だったギリ・ヤロは家族とともにスーダンの難民キャンプに逃れていた。そこからイスラエルが用意した飛行機に乗ってきたのだった。

(中略)

ギリ・ヤロは、Zvuloon Dub Systemというダブ・バンドでヴォーカルを担当していた。『Anbessa Dub』(2014)というアルバムを出していて、ジャケットにクラールというエチオピアの民族楽器が描かれていたり、『Ethiopiques 6』などでお馴染みのレジェンダリーなエチオピアの歌手、Mahmoud Ahmedが参加した曲もあるが、音楽的にはほとんどダブそのものだった。このバンドで、カナダ、ジャマイカ、アメリカを2か月かけてまわるツアーに出た。
ところが、イスラエル南部地区アシュケロンに近いKiryat Malakhiの住民がエチオピア出身のユダヤ人にアパートを賃貸したり売却したりしないという近隣委員会との約束に署名したことに対して、抗議行動に参加するようになり、自らの出自に自覚的になった。それまでのギリ・ヤロは、エチオピアの文化や風習をことさら前面に出すような生活をしていたわけではなかったが、エチオピアに興味を持ち、アムハラ語で歌う音楽を聴くようになった。バンドを離れてソロ活動にシフトして、ついに完成させたのがこのアルバムなのだ。
ギリ・ヤロの音楽は、エチオピアの伝統音楽の5音階、いわゆるヨナ抜きで、日本で使われている民謡にもよくある音階を使っている曲が多い。だがそこに、ソウル、ファンク、サイケデリック、ジャズなどの要素をミックスさせていて、独自の音楽にアップデートしているところがポイントだ。プロデューサーとして、オリエンタル・サーフ・ロック・バンド、ブーム・パムのリーダー、ウリ・ブラウネル・キンロトの名前がクレジットされている。

(中略)

1曲め「Tadese」から、いきなりエチオピアらしさが濃厚だ。しかし作曲したのは、ベタ・イスラエルの女性シンガー、Ester Radaのアルバムにも参加していてエチオピア音楽にも造詣が深そうとはいえ、イスラエル人のジャズ・ギター奏者、Nadav Peledである。
続く「Selam」はエチオピアで撮影されたMVが公開されている。メロディはエチオピアっぽいけど、リズム・セクションはファンキー。エチオピアには存在しないエチオピア音楽だ。
「Sab Sam」は唯一、エチオピア産の楽曲のカヴァー。Neway Debebeが作り、Tsehaye Yohannesが歌っていた曲で、ギリ・ヤロは、Zvuloon Dub Systemのときにもレゲエ/ダブでカヴァーしていた。それはなかなかカッコ良いアレンジだったが、ここではオリジナルに近い演奏をバックに歌っている。公開されているBerlin Sessions Tel Avivの演奏シーンは、キーボードはノーム・ハヴキン(Noam Havkin)、ベースはバルカン・ビート・ボックスにも参加していて、バターリング・トリオのメンバーでもあるベン・ヘンドレル(Beno Hendler)、ギターはヨナタン・アルバリック(Yonatan Albalak)、パーカッションはイダン・K(Idan K)という布陣で、またひと味違う。
「Africa」「Hot Shot」「Coffee」は、エチオピアらしさを残しつつ独自のポップ・ミュージックの道を切り開こうとする意識が伝わってくる。伸びやかな展開だ。
最近のギリ・ヤロは基本的にエチオピアの言葉、アムハラ語で歌うことが多いが「City Life」は大きな都市で生活することの困難を英語で歌っている曲。
「Fire」は、ギリ・ヤロの歌はエチオピア・マナーのまま、いかにもウリ・ブラウネル・キンロトらしいサーフ・ギターが炸裂している。今のイスラエル音楽の多様性を象徴している曲といえるだろう。
「T’ebik’iu」「New Life」は、サイケデリックでチルアウトしていくような展開だ。
イスラエルのユダヤ人には、アシュケナージ(ディアスポラのユダヤ人のうち、ドイツや東ヨーロッパに暮らしていた人たち)、ミズラヒム(アラブ世界やイスラム教が多数派の社会のユダヤ人)、セファルディ(環地中海域のディアスポラのユダヤ人)だけでなく、ベタ・イスラエル(エチオピア系ユダヤ人)がいて、じつはユダヤ人そのものが多民族なのだった。そして民族間には軋轢や差別も存在する。近年のイスラエル音楽の素晴らしさは、その溝を乗り越えて、むしろ多様性を表現していくことに活路を見いだした結果といえるだろう。

1 Tadese
2 Selam
3 Sab Sam
4 Africa
5 Hot Shot
6 Coffee
7 City Life
8 Fire
9 T’ebik’ew
10 New Life

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